ガラスの仮面SS【梅静033】 第2章 縮まらない距離 (13) 1984年冬

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「謝るって?」

目の前に置かれたかわいらしいケーキを口に運ぼうとしたマヤの手が止まった。

「ええ。マヤさん、沖縄に行ってらしたんでしょう。わたくし、マヤさんが沖縄に行かれる前からそのことを知っていたの。お互い、あのひと月は、どこで何をしているか、知らないまま過ごすというルールだったそうなのに、わたくしはマヤさんのことを知っていたわ。マヤさんは、わたくしが何をしていたかご存じないでしょう?」

「ええ。まあ。知っていたのですね。ええ、私、沖縄にいたのですが、亜弓さんがどうしているかなぁと思いました。正直とても気になりました。何か、紅天女に近づくための特訓をしているのではないかしら?とか。私の手の届かないところに行ってしまうのではないかとか。そういうことを考えることもありました。」

「そうなの?わたくしのことを考えてくださる時があったの?うれしいわ。なら余計にまずわたくしが謝らなければ公平ではないわ。ごめんなさいね。わたくしはたまたまマヤさんが沖縄にいらっしゃること、そこで、スクールで練習されていたことを伺ったわ。」

「はい。沖縄で、ダンス、歌、英語を習いました。あとは観光もしました。貴重な体験をしました。」

「そうなの。それはよかったわ。わたくしはね、このひと月、実はね、療養していたの。」

「療養?」

「ええ。お気づきになったかどうか。わたくし、目がほとんど見えなかったの。ちょっとしたアクシデントがあってね。それで、シアターXでの記者会見のときも、マヤさんが見えなくて、握手もできなかったの。ごめんなさいね。」

「ええっ?見えなかったの?亜弓さん。」

「ええ。見えなかったわ。それで、これからも見えなくなってもいいやと思って、シアターXでの試演に臨むつもりだったの。でも、このタイミングで、ひと月空いたので、手術と療養をすることにしたの。演劇のお稽古からはすっかり離れたひと月だったわよ。ふふふ。でも、これからのお芝居はできるくらいに回復しているわ。」

「ええっ?全然知らなかった…。」

「そうよ。知らなくて当然よ。誰にも言ってなかったわ。知っていたら逆に恐ろしいわ。ほほほ。」

「亜弓さん、あなたって人は…。」

「自分でもそう思うわ。でもわたくしは姫川亜弓。姫川亜弓が弱点を見せるなんてとんでもないわ。紅天女もわたくしが…。」

「亜弓さん…。」

「あら、ごめんなさい。こんなふうなお話しをしたくて今日はお声がけしたのではないわ。まず、公平でなかったことを謝って、わたくしの目についてお話ししたいのよ。」

「謝るのはもうわかりました。亜弓さんのひと月のことも今聞いたので。それで亜弓さん、目はもうすっかり良くなったのよね?見えるのよね?私の顔も見えますよね?」

とマヤは目を見開きながら顔を亜弓に近づけた。

「あっはっは。マヤさん、おかしい。大丈夫よ。あなたが目を開かなくてもわたくしちゃんと見えてますよ。今は。ええ、今は。」

「見えているのね。え、でも、今、って…?」

「そう。今は見えているの。今はね。そして、3年後も同じように見えている確率は残念ながらあまり高くないと医師に言われているの。そして、わたくしの感覚では、もっと早く見えなくなると思うの。」

「亜弓さん…、そんな…。」

「同情してほしいのではないの。わかった上で、お互い全力をつくして試演に臨みたいの。だから、今、この話をするの。きっと、私の目は持っても、この一年。一年よ。」

「一年…。」

「ええ。そして、今日のお話しで、一年の区切りが出た。普通なら、きっと自分が紅天女に選ばれると思うはずよ。普段のわたくしならば。その一年はわたくしのために用意されたと思うはずよ。でも今日はそう思えなかった。きっと、マヤさん、あなたに決まるのだと直感したの。わたくしには一年が見える期間として残されているけれど、その期間は紅天女として生かせないと感じたの。」

「でも、だからといって、わたくしが諦めているわけではないの。ここからがわたくしのがんばりどころだと思うから。」

「そうです。亜弓さん。どちらに決まっても、そこまでにお互い悔いが残らないように、全力を尽くして。それに、まだ決定されていないので。」

「もちろんよ。ただ、今日のお話しで、またひとつ違う道も見えたわ。保存委員会。そこにマヤさんもわたくしも名を連ねる。どちらかが紅天女の上演権を手にするよりもかえって重いものを託されたような気がして。」

「私はまだはっきりと意味を理解していないのです。」

「そう、それは、また周りの方に教えて頂くといいわ。わたくしは、その重さを有難く感じているの。一年でわたくしの目はきっと見えなくなるのに、紅天女に選ばれない。もうその後の道はないと思っていたけれど、月影先生も山岸理事長も、そして、きっと速水社長も加わって、紅天女を残す方向で考えてくださったようで。」

「は、速水社長が?何か関係しているのですか?」

「まあ、そこはおいおいわかるわ。きっと。それに、紅天女を残していく方向で、そこにわたくしは関わることが約束されている。マヤさんも。わたくしたち、ずっと、一緒にね。」

「そういうことなのですか。選ばれなくても関わっていけるということですか?」

「そうみたいよ。マヤさんとわたくしのご縁は続くみたいね。」

「それで、今日のお話は、一切、他言は無用でお願いしますね。わたくしの目のこと。必要な時に、わたくしの口からみなさんにお知らせしますから。でもマヤさんにはそれを知った上で、試演まで全力で一緒に競いたい。」

「亜弓さん。本当に見えなくなるの?」

「たぶん。かなりの確率で。」

「誰がそのことを知っているの?」

「手術のことは、理事長、月影先生、速水社長、あとは、うちの母とカメラマンのハミルさん。目が見えていないことは、小野寺先生も赤目さんもご存知よ。でもどなたもあと1年ということはご存じないわ。マヤさんだけに今初めて伝えた。」

「そうなの。なにも私は力になれなくてごめんなさい。それで、女優は?どうするの?」

「それはまだ考えられないわ。正直言うと。マヤさんは、これからどうするの?」

「今は紅天女のことだけ。それ以外は考えられない。」

「そうよね。それはきっと同じだわ。同じよ。」

「目の話は、ここまでよ。あと、気持ちとしては聞きたいけれど、今は、沖縄の詳しい話を聞くと、わたくしもまたあわててしまうかもしれないから聞かないわ。また時期がきたらお話ししてくださる?」

「もちろん。私が亜弓さんにお話しできることがあるなんて。」

「マヤさん。もう、わたくしたち、長いつきあいよ。そしてそのつきあいは続くわね。今日はそのことを確認したかったの。あのとき、ケンカしたこと、今でもたまに思うの。わたくしの本音を知る数少ない人なのだな、と。マヤさん、あなたは。」

「亜弓さん…。」

「それで1年後は目のこともあるだろうから、どうなっているかわからないけれど、またこうやってお話しをしていきたいの。馴れ合いではないわよ。舞台では真剣勝負。でも、舞台から離れたら、わかりあえる大切な人。だから…。」

「だから…。」

「わたくしも、マヤさんにとってそういう立場の人間になれたらって思っているの。そこにウソはないわ。きっと、今回の決定のあと、あなたは、また前の時のように色々な思惑によって動かされることになるかもしれない。その時は、わたくしがいることを心の隅にでもとどめておいてほしいの。」

「亜弓さん…。あ、あの、乙部さんのことも、亜弓さんが自分から買ってやったとあとから聴かされました。そのお礼も言っていない。」

「いいのよ。あなたはわたくしの大切なライバルであり友人だから。わたくしもあなたにとって、そうありたいってこれからも思い続けるわ。さあ、ケーキ頂きましょう。ここのは本当においしいのよ。きっと気に入ると思うわ。」

マヤが口に運んだケーキはこの上ないおいしさだった。やわらかいクリームが舌の上で溶け大粒のいちごとあわせて食べるとすっぱさと甘さがまざって思わず、

「う~ん、おいしい。おいしい。」

と声に出してしまうほどだった。亜弓さんが選んでくれたジャスミンティーも甘さを残らないようにする効果があるようで、とてもよくケーキに合っていた。

「もうひとつ召し上がる?」

と亜弓がマヤに尋ねた。普段のマヤならばどんどん食べることができるのに、今日は、すぐにお腹がいっぱいになり、食べようとはしなかった。

「こんなにおいしいケーキ。たぶん、今日、亜弓さんとこれを食べたこと、ずっと忘れないと思います。ありがとう。話してくれて。これからもよろしくお願いします。」

とマヤは笑顔で言った。

「次に会うのは、決定のときね。わたくしは、マヤさんの演技、観ないわ。マヤさんもわたくしの演技は観ないでしょう?それでいいのよ。そうしましょう。」

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