ぼくのバックステージ003 あらためてマヤの生年月日を考え占いをみてみた

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ぼく
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こんにちは。ぼくです。

更新情報をお伝えするライブドアブログからこちらにいらして下さる方が多いのですが、加えて、ライブドアブログと連携してツイッターを初めました。

ミウチ先生だけをフォローしてみました。「創作なんかけしからん!」と叱られたらどうしよう…。

ということはさておき。今日はあらためて、マヤの生年月日を見直してみました。

連載開始は1976年1号。ただし、これは1975年に販売されているので、1975年12月にマヤは中学1年生であったと考えられます。

マヤは2月20日生まれ。早生まれなので、開始時は12歳ですね。

ということで、1963年2月20日生まれ。うさぎ年ということになります。

いままでずっと1962年生まれと思っていましたが、それは亜弓さんですね~。

こちらは訂正しました。1962年と書いていたのですが、1963年です。

1963年2月20日生まれなので、宿曜占いでみると、「危宿」です。くったくなく、ものおじもなく、感性が強いタイプ。見事なまでに危宿設定になっていますぞ。マヤは。

亜弓さんは1962年8月5日。「氐宿」。おおおお。これまたぴったりなものがきた。一本気で粘り強く目標に向かうタイプ。勝負強さも兼ね備えています。

そして、マヤと亜弓さんの関係は、「栄親」の関係。相性でいうならばバッチリ。お互い信頼しあい、何かを築いていける関係。あれこれと考えるよりも、直観に従い、協力しあっていくのがよいですね。

ふむ。ちょうど、ここまで創作を続けて、読んでくださっているみなさまもお気づきかと思いますが、実は、ぼくは、「紅天女」は決着はつけますが、そのあとは、マヤと亜弓さんで育てていくものにしていきたいと考えています。どちらかだけに権利をあげても、また横やりも入り、そしてなにより、この令和1年の今、マヤも亜弓さんももうすぐ還暦になりますから、また次の後継者を、という話になってしまうのです。

ならば、1984年の段階で、二人がかかわって紅天女を守り、育てていく方向にしたいなと。紅天女に自由度をもたせて、色々な角度で演じることができるようにしたいと言うのもあります。

あと月影先生も気になるんですよね。結局、原作はスマホもでてきましたが笑、時空がゆがんでいなければ1983年の秋で止まっていて、今、すでに35年たっています。それまでに30年以上、紅天女と一蓮にこだわってきていて。ずっと、尾崎一蓮が作った紅天女だけにこだわり続けて、月影先生の人生浮かばれるのか?という想いがぼくの中に芽生えてきちゃったんです。

千草と一蓮は一度だけ想いをとげて、残ったものは紅天女。それが同じ形で残るより、育ちながら残るほうが幸せなんじゃないかなという想いを入れてみています。今、マヤか亜弓かどちらかに決めて、ハイ、おしまい、ってしてしまうと、そのあとの紅天女は風化していくのみじゃないかとも思いますねん。

でも、あと、数回のうちに、ずっと懸念事項であった、「紅天女はどちらに?」は梅静でも決めます。でもそこで話はおわらせずに、令和の今になるまで書いて行こうと思っています。もちろん、途中は端折りますよ~。

引き続き、お読みいただけるとうれしいです。よろしくお願いします。

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