ガラスの仮面SS【梅静066】 第4章 運命の輪(8) 1984年春

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春の墓は、横浜から少し奥まった高台にある。こじんまりとしているがきれいな墓である。

あのとき母親を亡くしたことで、すべてをだめにしてしまったマヤは茫然とするほかなく、いけないかもしれないとわかりつつもすぐには納骨できずにいた。

少しでもそばにいてほしかった。

すでに母さんは形が変ってしまって、もう、マヤを叱ることもないけれど、遺骨がそばにいるだけで、一緒にいられる気がして安心した。だから手放したくなかった。何回も遺骨に向けて、「やっと会えた。」とマヤは言葉をかけた。

そんなマヤを見て、水城は気持ちを割り切るようにと言ったが、なかなかできなかった。やっと気持ちが動き始めたのは、学園祭でビアンカを演じた頃だった。「もうお母さんを天国に返してあげましょう。」と水城が言ったときには新しい墓の準備はできていた。

早くに亡くなった父親の墓は父親の出身地の群馬にあったが、マヤもほとんど参ったことがなかった。存在すら、春が亡くなった時に知った。それもすべて水城が調べてマヤに伝えていた。マヤは到底考えることもできず、何をしたらよいかお手上げだった。そこで、春の納骨の時に、あらためて水城が横浜に手配をした。

マヤの父親は次男で早くに亡くなっていて、お墓を守る人にはもうあまりかかわりがなくなってしまうこと、そして、夫婦としてはあまり長く一緒にいられなかった二人がせめて一緒にいられるようにということ、なにより、マヤが参りやすい場所にお墓を移し、マヤが少しでも癒されればという想いから横浜に新しいお墓を準備してくれていたのであったと思う。

マヤの親の墓のことなのに「思う」とはっきりと記憶がないのは、あの時のマヤの精神状態の所為だ。思い起こすと、母の亡骸の横で沙都子を演じたところから、記憶が残っていない。抜け殻のように涙を流し、心は様やった。その時、その精神状態のマヤを思い、周りが助けてくれていたのだろう。横浜のお墓はプレゼントと言ってはおかしいが、紫のバラの人が準備をしてくれたと後日知った。今になって考えてみると、マヤ自身が何かをする前に、紫のバラの人と水城で最善を尽くしてくれたのだとしみじみ思う。

「たぶん迷子になるから。一人じゃあやしい。一緒にいくよ。」

もう大丈夫よ、と答えたかったけれど、しばらく横浜に行っていなかったので、「迷子になったらどうしよう」と不安もあったので麗の提案はありがたかった。二人で電車に乗って横浜に向かった。

途中、麗を見て振り返る人はいたけれど、マヤに気づく人はあまりいなかった。やはり麗は華やかで人目をひく。マヤにとっても自慢の友人だ。

「駅からはタクシー使おう。目立つよりちょっと贅沢しようよ。」

と麗が言った。タクシーに乗る前にお花と、小さいころのマヤの記憶にも残っている春が好きだったいちごを買おうと思った。

「あれ、母さん、何の花が好きだったかな?」

花やの店頭で選ぼうとすると、マヤは母親が好きだった花を知らないことに気付いた。

「あっ。そうか…。」

マヤは母の好きな花を知らないのではなく、母親に花を愛でる余裕などなく、好きな花ひとつ買うことすらできない生活だったから、家では花の話題など一度もでなかったのだ。知らなくて当然だ。

日々、生活に追われ、住み込みで小さくなりながらひたすら働いていた母さん。一日一日を生きるのに精いっぱいだったのだろう。

いちごの想い出も今ならわかる切ないもの。杉子さんのおうちからおすそ分けしてもらって、それをうれしそうに見つめて

「ほら、おまえも味わって食べるんだよ。」

と言い、マヤに一粒を渡した。母さんも一粒、マヤも一粒を手にしていた。

「いっせいのせ、であわせて一緒に同時に一口で頬張ってみよう」

その時だけ、母さんもうれしそうにマヤに呼びかけた。あの時頬張ったいちごは硬くて酸っぱかったけれど、とてもおいしいごちそうだった。あの時の母の笑顔はマヤにとって数少ないやさしい母親の想い出であった。だから今でもいちごは本当に好き。

「きれいにしてあるね。ちゃんと管理してくれる人がいるみたいね。よかった。」

麗はお墓に着くと、軽く手を合わせてお墓を褒めた。

「じゃあ、掃除もそれほど大変じゃなさそうだから、マヤ、久しぶりだろうし、お母さんとゆっくり話しながらお参りしなよ。私は、そこらへんをふらっとしてくる。30分くらいで戻るよ。」

と麗は言い、お花と買ったいちごを置き、来た道を戻るように歩き始めた。

「ありがとう。遠慮なくそうさせてもらうね。ありがとう麗。」

と、マヤは麗に向かって言った。

「ねぇ、母さん。あたしが選ばれたんだよ。紅天女。亜弓さんと競ってあたしが選ばれたの。日本中のみんながあこがれてあこがれて、演じたくて、でも、できなかった紅天女にあたしが選ばれたの。あのお金持ちで、美人で母親も女優の亜弓さんよりもあたしが選ばれた。あたし、取り柄、あったよ。母さん。喜んでくれるよね。自慢の娘だって言ってくれるよね…。」

お墓の前でまず手を合わせ、軽く墓を掃除し、マヤは墓石をなでながらひとりで話し始めた。

「覚えてる?母さん。母さん、怒って、月影先生にひどいことしたけれど…。あれからもうだいぶたつね。こんな日がくるなんて思わなかったけれど、ずっと先生はあたしを導いてくれたよ。それでね、母さんが映画館であたしの映画を観ながらひとりさびしくこの世にさようならをしたとき、あたし、本当に悔しくて、悲しくて…。それで、人も憎んだの…。それで、何もできなくなったの…。」

「母さんが見てくれた映画。白いジャングル。あれからあたし映画もできなかったの。TVドラマも。全部ゼロになって…。母さんの所為じゃない、母さんは悪くない。あたし、母さんに会いたかった…。見てもらいたかった…。でももう母さんはいない。するとあたし動けなくなっちゃって…。ずい分動けなかった。

でもね…。選ばれたよ。この間、大きくテレビでも新聞でも取り上げられるニュースになったよ。

実際にお芝居をするのは亜弓さんが先だけれど、あたし、母さんの娘、北島マヤが選ばれた。亜弓さんが来月から新しい劇場で演じるけれど、その間にあたしはあたしじゃないとできないことをやるの。前に迷惑をかけちゃったTVにまた出るの。前はCMもやったよ。母さんとのお別れのとき、演じた沙都子。あれもだめになった。ごめんね…。でもまたやり直してここまで来たよ。取り柄がないってちがうよね。あたしの根性は母さんに似てると思うし…。」

今なら少しわかるけれど、マヤにとっては厳しい母親がいつも「取り柄もなにもない」と言うのは、もしかすると、それはマヤに向けての言葉だけではなく、母親が自分自身に向けてもいたのかもしれない。大切な一人娘マヤが自分と同じように取り柄もなく、ただひたすら身を粉にして働く以外ないのかもしれない、娘にはそんな思いをしてもらいたくない、でもなにもできない母親としての自分へのいらだち。そこからマヤに厳しく辛くあたっていたのかもしれない。そんな風に今なら思える。だから余計に母に何もしてあげられなかったことが心残りになる。

「それでね、母さん。あたし、好きな男の人もいるの。母さん、母さんが生きていたら、あたし相談したかな…。それはわからないけれど…。

あたし、おなかに赤ちゃんがいた時もあったの…。このあたしが母親に…。うん…、その人のことは、ずっと憎んで…、でも、好きで…、やっと最近自分の気持ちに気づいてね…。

それがね…、母さんを一人でさびしく旅立たせた原因になった人なの…。カタキだよね…。憎んだよ、本当に。憎んで憎み抜いて。でも、止められなかった…。母さん、生きていたら、あたしになんて言うかな?怒るかな?相手の男の人に怒鳴り込んでいくかな?でもね、あっという間に、その赤ちゃんとは別れなきゃならなくて…。」

あふれる涙もふかずにマヤは続けた。

「不思議な気持ちになったの…。母さんのおなかにあたしがいた時も母さんそうだったかな…?あまり意識するひまもなく…。彼には伝えていないの…。流産したことは。だって、彼はもう他の婚約者がいて…。母さん、きっと無責任だって怒鳴り込んでいくだろうな…。でも、あたしはね…。」

晴れた空を見上げて、すうっと深呼吸をした。そして、涙を流しながらもきりっとした顔で空にいるだろう自分の母に向かって話を続けた。

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