ガラスの仮面SS【梅静027】 第2章 縮まらない距離 (7) 1984年冬

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翌朝は疲れが出たのか、あるいは、アパートに戻り緊張感が解けたのか、目が覚めて起き上がる時にふっとめまいがした。「慣れないことが続いて、たぶん、ちょっと疲れちゃったかな。やっぱりうちはほっとする…。でも、今までこんなことなかったのに…。」とマヤはぼそっと言った。

それから、えいっと身体の伸びをして、荷物の片づけをした。意識して、ちょっと早めに稽古場に行くと、すでに、黒沼さんも、桜小路くんも来ていて、ちょっと気まずい気がした。

「日曜に記者会見やるそうだ。舞台稽古は2週間後の20日。金曜だな。半日ずつ、新しいあの大都のシアターでやる。そこから1週間後の26日に、試演だ。午前・午後でやるそうだ。舞台のセットは最小限にしてくれだと。それで、午前・午後に分けてやるそうだ。結果発表は2月1日だ。その時はまた記者会見をやるそうだ。記者会見はともにそのシアターだ。」

黒沼がやや投げやりに言うと、桜小路が続けた。

「時間があるのか、ないのか、よくわからないね。足りないような気もするけれど、マヤちゃんも沖縄で収穫あったようだし、僕も、足が動くようになってきて、だんだん一真を身体で感じて演じられるような気がしてきているんだ。みんなも、マヤちゃんがいない間も、それぞれ練習していたし、基礎体力もつけるように努力していた。だから、きっと、やれるよ。うん、マヤちゃん、やれるよ!」

「スケジュールはずれこんだ。しかし、やっと結果がでる。泣いても笑っても。あとひと月もしないうちに結果がでる。全力で駆け抜けていこうな。じゃあ、今日はまず北島の一か月について話してもらおうか。」

サングラス越しの黒岩の視線はとても強かった。

「人の言葉がなんの役にたとう」

マヤはすくっと立ち上がりながら紅天女のセリフを口にした。

「風に神宿り 火に神宿り 水に神宿り 土に神宿り 岩に樹に神宿る」

しばらくの余韻を残して、マヤが続けた。

「いきなり、でしたね。でも、実際に、これを体感するひと月だったのです。具体的には、沖縄に行って、英語、ダンス、歌のレッスンをしてきました。」

「英語?はぁ?なんでまた?」

とそこにいた一人が声をあげた。

「はい。本当ですよね、なんで、また??って私も思いました。私、ハローくらいしか言えない人だったので。そんなところで英語をやるにしても、なぜ、今なのか?って。今、そんなことしているヒマなんかないはずです。」

「そうだよな。一体、月影さんは何を考えて…?」

「しかし、私なりに得ることもすごくありました。一つの言葉も、発音の仕方で意味合いがかわること。うまく言えないのですが。そして、わからないなりにも、聴こうとすると、わかるものがある。言葉を超える何かがある…。たとえば、先ほどの、こう言ってみたらどうですか?」

「風に神宿り 火に神宿り 水に神宿り 土に神宿り 岩に樹に神宿る」

と、先ほどのセリフと、少し異なる抑揚で、マヤは言った。

「うまく言えないのですが、風も火も、水も、土も、そして、岩も樹も、目の前にあるように感じることができるのではないかと思ったのです。」

「ほう…。それが英語レッスンの成果か…。」

「成果と言えるのか、どうか…。まだ、私もはっきりわからないです。そして、自然や歴史もゆっくり触れてきました。とても贅沢な時間でした。」

「よかったね、マヤちゃん。かけがえのない体験だったんだね。僕も負けていられない。」

と桜小路が言った。マヤは続けた。

「歌とダンスのレッスンもしました。これから芸能界を目指している小学生の子供たちと一緒にレッスンをしたのですが…。はじめは全くついていけなくて。それに、そのレッスンをしている間に亜弓さんが何か特別なことをしているのではないかと心配になりました。ただ、そこを心配し過ぎてもどうにもならないし、それに知らない人ばかりの中なので、恥もなにもないやと。そうしたら、何か自分の中でも変わったような気がしました。」

「おう。そうか。何か変わったか。今、踊って見せるか?」

と黒沼がややからかって言うと、マヤは

「えええー、いきなりは無理です~。これから舞台稽古、試演までの間に成果を感じていただけるようにがんばりますから~。」

と笑いながら言った。

「やはり、大都の若社長が絡むと、金に糸目をつけないんだな。そこばかりはもう、な。」

と帰り道に、黒沼が桜小路にぼそっと言った。

「速水社長が…。そうですか…。でも、それがマヤちゃんのためになるんだったら。またマヤちゃんがそれを受け入れているのならば。他になにも言うことはないです…。」

「おっ。やっぱり、桜小路も勘付いていたか。あの二人は何かありそうだよな。まあ、若社長にはあのべっぴんで財力がある嫁さんがいるからな。特に、複雑な関係ということではないのだろうけどな。」

「そうだったらいいのですけれどね…。」

と桜小路は黒沼に聞こえないような声で言った。

「明日の記者会見、結構時間長いですね。前回は30分くらいで終わったのに、今回は2時間を予定してほしいだなんて。」

「そうだな。理事長から、話があるとのことだけれど、何だろうか。シアターXに関することはもう解決したようだし、今後の事も、試演・決定のスケジュールを話すだけだろうに、何か、大げさじゃあないか?」

「はい。それは僕も感じました。何かまた明日、ビックリするような話があるのでしょうか。紅天女はとても取組み甲斐があるお芝居ですけれど、色々な人がかかわって、振り回されている気もします。それだけ月影先生にとって大切なお芝居で、人々に愛されていると言うことなのでしょうけれど…。何か恐ろしい気もしますね。正直なところ。」

含みのある桜小路の言葉に黒沼はうなづいて、ため息をついた。

「どういう結果が待っているのか。あとひと月ではっきりするのだろうか。わからないままだけれど、とにかく今は前をみて取り組むほかないよな。おい。こんなふうに話すのは初めてかもしれないな。お前、あまり、北島に入れ込むなよ。お前の気持ちは、外にでてるぞ。ははは。でもまあ年頃だしな。後悔しないように一日一日を生きろ。俺に言われてもまあ眉唾っぽいけれどな。ははは。じゃあ、ここで。俺は、景気づけに一杯飲んでから帰るわ。明日、また会おうな。遅刻するなよ。」

と黒沼は、繁華街の方に足を向け、桜小路に別れを告げた。

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