ガラスの仮面SS【梅静026】 第2章 縮まらない距離 (6) 1984年冬

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マヤは余韻から抜け切れずに、立つことができないままでいた。遠巻きに、水城と麗がマヤを見守っていたが声はあえてかけないでいた。

すると、劇団Sのスタッフがマヤのもとに駆け寄ってきて、

「北島さん。少しだけお時間よいでしょうか。今日は代表はいないのですが、うちの天川と春野が是非北島さんとお話しさせていただければと申しております。」

「え?私とですか?」

と言いながら、マヤが水城を探すと、水城と麗は通路にたったままマヤを見つめ、こっくりとうなずいて、わかっているのか、「行って来れば」と口を動かして、マヤを促した。そして、

「ロビーで待っていますね。」

と水城は声に出してマヤに伝えた。

楽屋で会ったときに口火を切ったのは天川だった。舞台メイクを落とした天川はあどけない顔をしていた。

「今日は、ありがとうございました。打ち合わせなしで、出たとこ勝負のような振りをしましたが、さすが北島さん。やはりプロですね。身のこなし方も、観客の目を集める動きも、あっという間に合わせてくださって。」

「いえいえ、そんな。私は…。でもとても夢中になって観させていただきました。楽しかったですし、笑いましたし、涙も流しました。すごいです。本当に、場面が見えてくるような。そして、その場にいない犬も見えるような気がしました。」

「光栄です。いや、僕たちも今回、ドッグを演じるにあたり、北島さんの『忘れられた荒野』をずい分参考にさせてもらったんです。ブロードウェイも観ましたが、僕たちの言葉でどう表現するか、という部分で、北島さんのジェーンはお手本になったんです。だから、そのお礼もしたくて、一度、ドッグを観に来ていただけないかなと思っていたのです。」

春野が続けた。春野はまだメイクを落としていない犬顔のままだった。

「お恥ずかしい話ですが、振り付けの段階でも、代表から、『おい、ジェーンを見ただろ。あれを観客はもう観てるんだぞ。お前らのそれが犬か?笑われるぞ。』と何回もはっぱかけられました。それもあって、北島さんに、事務所や芸能界のしがらみを超えて、うちらのドッグを見に来ていただいて、一緒にステージに上がってほしかったんですよね。それを代表に話したら、大都の速水社長に伝わり、そこから、今日、ちょうど、ひと月のどちらかに行かれていた時から、今日戻られると聞いて、それで、今日に足を運んでいただいたのです。」

天川がすぐに続けた。

「お席の様子もこちらから見えたのですよ。一体化して、ステージを観てくださっていて。そして、参加いただいて、まちがいないなと。ちょっとした動きが、なんというのか、ジェーンの時とはまた違う、ダンサブルな様子もあって、感激しちゃいました。」

「そ、そんな、そんな。そんな風に考えていただいていたなんて。全然知りませんでした。今日は、差し入れもなにもなくて。もう本当に私は抜けていると言いますか…。申し訳ないです。」

天川が真剣なまなざしをマヤに向けて言った。

「北島さん。どの場面が印象に残りましたか?紅天女候補の方にはどう伝わったのか、とても興味があるのです。」

すると、マヤはさっと表情を変え、春野が言った声色のまま答えた。

「今、一緒にいることが、事実だよ。君が立派なお家で飼われていたことがなんだっていうんだい。だから君も変わりな。」

すると、天川と春野が顔を見合わせて、はぁと深く息をついた。

「そこですか。飼い犬で、捨てられたのに、そのままお高く止まっていたチャーミー、そう、私が演じたメス犬ですけれど、そのチャーミーに、ボス犬のスタッズが言った言葉ですね。実は、そこが私たち二人も一番好きなシーンなんです。」

「うわぁ。そうなのですか。私もジーンときちゃって。心が一つ、ということを言ってるのかなと思ったので、とても印象に残っています。ステキでした、あのシーンのお二人。」

「ありがとうございます。私たち二人もいろいろ言われてますけれど、それなりに考えることもありますから、どうしても感情移入しちゃう部分もあるのですけれどね~。」

「感情移入ですか…。」

「長々ありがとうございます。今日は本当にありがとうございます。紅天女に負けないよう、ドッグも育てていきます。お疲れでしょうに、今日はありがとうございました。これからも、事務所や、しがらみ関係なく、役者として、仲良くしてくださいね。ありがとうございます。」

と、天川が丁重すぎるくらいの挨拶をした。マヤは深々とお辞儀をして、楽屋をおいとました。

待っている間、麗と水城は、ロビーで買った缶コーヒーを飲みながら話していた。

「マヤは乗り切ることができるのかな。今日、飛行機の中で、速水さんの結婚を知って。それで、ほんの数10分だけ横に座って。何か、話している様子もなかったみたいだしなぁ。」

麗が切り出した。水城は天井を一瞬見上げて、また麗に視線を戻して答えた。

「そうね。でも、ここのところ、マヤさんは強くなってきているわ。それに、たぶん、あの二人は、ある意味本当の…。」

「本当の…?」

「ええ。本当の。」

「本当の?」

「魂のかたわれであることを感じ取っていると思うの。お互いに。」

「お互いに…、ですか…。」

「ええ。」

「長かったのかもしれないですね。そこまでくるのに。」

「そうね。やっと。でも、そこまできたのに、また距離を埋めることができない。それが今なのでしょう。」

「むずかしいですね。」

「そうね。でも麗さん。ちゃんと埋まるところは埋まっていく。収まるところは収まる。それは、私も信じている。麗さんもそれを信じるでしょう?」

「はい。信じていること。信じていきます。」

二人が目を合わせたところにマヤが戻ってきた。

「明日は稽古再開ね。マヤさん。軽く食事をして帰りましょう。食事の後、麗さんとマヤさんを送っていくわ。」

と水城は何事もなかったかのように軽やかに言い、3人はドッグ・シアターを去った。

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