ガラスの仮面SS【梅静025】 第2章 縮まらない距離 (5) 1984年冬

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ミュージカル「ドッグ」はブロードウェイで大人気のミュージカルを劇団Sが日本に持ってきたものだった。大都芸能も海外ミュージカルに進出したいと思っていたものの、こまわりがきく、劇団Sの代表 相川健多が自ら乗り込んで契約して、昨年の冬から開催しているものだった。すごい行動力だ。せめて、大都劇場でも使わないだろうか、と真澄は思っていたが、それもなく、他のスポンサーをつけ、西新宿にドッグ・シアターを建ててしまった。スポンサーがついたことも、単独でシアターを建ててしまったことも、真澄は少々くやしがっていた。

かといって、真澄は、相川と不仲ということではなく、むしろ、その行動力を尊敬する同業者と思っているふしもあった。何か大都としてできることがあればと相川に申し出たこともあったが、相川はありがたく受け止めつつも、結局、金銭的には大都の手は借りなかった。ただし、配役に関しては、大都所属の芸能人も3人だけ選ばれていた。そこは、大都としても快諾をした。

主役は、劇団Sのスターである、天川江里奈と春野宗一だった。その二人が、愛し合う野良犬を演じた。実生活でも恋人同士であるといううわさも有り、その部分は話題作りに一役買っていた。そして、初日から日を重ねるごとに、話題が話題を呼んで大人気でチケットを押えることも難しいものになってしまった。ダブルヘッダーで開演することもあり、年が明けてからは、さらに大都の芸能人も加わるようになった。

ミュージカルの内容は、街に棲む野良犬を擬人化しさまざまな様子を描いたものだった。生まれてからすぐに親とはぐれた犬、金持ちの家で飼われていたのに捨てられた犬、餌をもとめて流れ着いた家族の犬。それぞれがキャラクターを持っていた。そして、犬たちの間では、恋愛あり、友情あり、社会ありというストーリーになっている。

ドッグ・シアターのステージは、街をそのままイメージしたものになっており、ステージも、一部客席までせり出しているもので、歌舞伎の花道にも影響を受けているものだった。これらのさまざまな新しい取組みが人気の理由でもあった。

3人はシアターに入り、席を確認すると、水城と麗は並んで座り、ちょっと離れたところにマヤが座ることになった。ドッグ・シアターに入るところから、マヤを振り返る人もいたが、着席してしまうと、ほぼ気づかれないで済んだようだった。むしろ観客はみな、ステージを見つめ、今か今かと開演を待っていた。

開始を知らせるブザーが鳴り、シアター内は暗くなった。観客は拍手をしたが、それが収まる頃に、犬の遠吠えが聞こえてきた。

マヤは自分がジェーンを演じたことを思い出したが、すぐに、それは消え、ステージに夢中になった。野良犬でもグループがあり、それぞれの性格も上手に表現されていた。所せましとステージもすみずみまで活用されていた。マヤが通常演じるものと異なる歌とダンスが入っていたが、沖縄Dスクールで、佐藤ひろみとして、レッスン生と一緒に練習したことが身体にしみついているのか、マヤは座ったまま、足でステップを踏みながら、ノリノリでステージに見入っていた。

1時間ほど演じたあとに前半が終わり、10分ほどの小休憩が入った。そこで初めてマヤは隣が空席であることに気付いた。

「もったいない。せっかくチケット持っているのに誰もいないなんて。それならば、つきかげの誰かを連れてきてあげればよかったなぁ。」

とマヤは前半の余韻が冷めやらぬ中考えた。しかし、その考えはすぐに消え、前半で見たステージを反芻していた。

麗が、小休憩のときに、マヤのそばにやってきたので、マヤは

「今、一緒にいることが、事実だよ。君が立派なお家で飼われていたことがなんだっていうんだい。だから君も変わりな。」

と、春野が言ったセリフをそのまま麗に言った。麗はぎょっとしながらも、

「マヤは相変わらずだね。楽しんでいるようでよかったよ。席は大丈夫かい?」

と言った。マヤはダンスの振り付けをコピーして、そのまま手振りをしながら、

「大丈夫よ。とても夢中で観ているわ。」

と答えた。

後半は、登場する野良犬が全員で歌いながら踊るシーンから始まった。そして、話が進み、このミュージカルの一つの見せ場である、観客を一人だけステージに上げ、一緒に野良犬になってダンスをするシーンになった。

そそり出ている花道を役者が歩いてきて、さっとマヤの手を引いて、マヤをステージに上げた。観客もマヤを認識したのか、「うわぁ~。すごい~。こんなことあるの~。」と喜びの声もざわざわと聞こえてきた。

「おい。お前、名前はなんていうんだ?犬に見えるけれど、なんだか人間くさいな。」

と主役の春野が言うと、マヤが答える前に、もう一人の主役である天川が、

「くんくん。なんかおかしいなぁ。どこかで見た顔だよなぁ、ワンワン。」

とマヤのそばに寄ってきた。観客はどっと爆笑した。マヤはもじもじしながら、

「北島マヤといいます。」

と答えた。すると、「えーーーっ!あの紅天女のーーーっ!!」と、春野も天川も他の役者もことのほか大げさに驚いたふりをしたので、また、観客が大爆笑した。

見事なコンビネーションで他の役者が、犬耳を持ってきて、マヤの頭につけている時、天川が、

「今日は、私たちの結婚式なの。これからみんなでお祝いのダンスをするから一緒に踊ろうよ、ワン!」

とセリフを言った。マヤはあせって、

「え、え、ダンス?で、で、できるかな?」

と素で答えてしまった。さらに観客は大爆笑し、

「マヤちゃーーん、踊ってみてーー」

と声までかかり、手拍子まで始まった。これは、毎回のお決まりらしく、観客のうち一人がステージに上げられることを、観客は知っていて、アドリブとは言えないレベルで話が進んで行った。と同時に、役者たちはフォーメーションを組み、春野と天川がマヤの手をとって、身体を揺らし始めた。そこでマヤも、

「わかったよ。おめでたいことだし、やってみるだワン!」

と声に出したので、また場内が爆笑した。

すると、さらに、まわりが、歌も歌いながら簡単なステップを踏み始めたので、マヤも見よう見まねで真似をし始めた。すると、意外とすんなり真似することができ、どんどん楽しくなって、周りのポーズを真似て、犬になり切ってみた。マヤが参加し、壮大なアドリブになった。2,3分のことであったが、マヤはすっかり溶け込んで踊っていた。

一区切りつくと、春野が、「ワン、今日の紛れ込んだ人間くさい犬は、どうもプロだったな。ワン。ありがとう。ワン!」と、マヤへの感謝を述べ、観客席から大喝采をあび、マヤを席の近くまで送っていった。そしてまたステージは彼らのものに戻った。

マヤがスタッフに促され、元の席に戻ると、今まで空席だった隣に誰かが座っていた。その人の顔を見た時、マヤは息が止まりそうになった。

「おかえり。ダンスもうまくなったね。」

と真澄が目を合わさずに、席に着いたマヤに小声でささやいた。マヤは真澄の横顔を見て、黙ってうなずいた。そして、すぐに目をステージに戻した。二人はその後に何も言葉を交わすことなくステージだけを見た。

いよいよ、ファイナルになった時、カーテンコールの前に、真澄は、マヤの手をぎゅっと握り、小さな声で、「ごめんね。」と言い、目立たぬようにその場を去って行った。

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