ガラスの仮面SS【梅静051】 第3章 確かな息吹 (8) 1984年春

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会見終了後 新橋のバー・スプリーム

「おう。先日、こいつを車で拾ってくれたんだってな。ありがとうよ。」

と黒沼は赤目に言った。

「ああ。偶然だったよ。それより、おい、お前、紅天女、北島さんに決まったな。おめでとう。お前も桜小路くんも、委員会に残るってすごい名誉じゃないか。おめでとう。」

「名誉か…。まあ、そうだな。ありがとよ。いや、正直にうれしいよ。あの演目は、底なし沼だからな。色々なやり方があって、役者も劇そのものも、変化していくからな。やりがいはある。ひとつ大きな挑戦を目の前にもらった気分だ。」

「そうだろうな。黒沼だと、そう考えるだろうと思うよ。実際、お前のグループの試演は小野寺さんとは違ったな。主演女優の違いだけではないな。」

「ふん。お前にそれを言われるとくすぐったい。」

「いや、本心からだよ。あの時、語り明かしたあの頃のお前と変わっていないよ。」

「なんだよ、ずい分、おだてるんだな。おい、赤目慶さんよぉ。ははは。お前は変ったけれどな。もう、けい、とは呼べないよな。」

「桜小路くんも見違えたね。あのシアターXの近くをふらふらと歩いていた君じゃないね。なにかきっかけがあったんだろうなとすぐにわかったよ。」

「あ、ありがとうございます。赤目さんにそうおっしゃっていただけるなんて。うれしいです。でもまだまだこれからです!」

と桜小路が言うと、マスターが割って入った。

「けいちゃん、あんたさ、ここの店のこと、聴いてかぎ回ったでしょ?わたしを誰だと思ってるのよぉ。すぐにわかったわよ。前から知ってるんだからもっと早く素直に来なさいよ。それに、あんた、なんかめんどくさいことに巻き込まれたんでしょ。それで、区切りついたら、ガス抜きしたかったんでしょう。だからかぎ回った。ばかじゃないの?だったら、直接、わたしに連絡しなさいよぉ。」

「ごめん、ごめん。ずい分時間もたってるしさ。なんか、ばつも悪くてね。」

「まあ、わたしは気にしないわよ。これからも顔出しなさいよ。いいわね?これからも顔出すと言うなら、ばつ悪い、とか関係ないわ。ご無沙汰も許すわ。でも、龍三さんは、けいちゃんに言うことあるみたいよ。」

とマスターは言い、龍三の空いたビールグラスと交換にジントニックを出した。

「うまくやったな。おい。小野寺とはうまく切れたんだろ?」

「いや。切れたもなにも。確かに第1期までということは一人で決めて、彼には相談なしでやった。あの演出だったら、俺は継続して一真を演じる意味はない。」

「おいおい、きれいごとの話じゃないぞ。何年の付き合いだと思っているんだ。俺たち、10代のころからお互い知ってるんだぞ。ふざけるなよ。おい~。」

絡んだ様子を見せながらも、黒沼は上機嫌であった。

「たまらんな。お見通しだしな。俺もお前のことはわかる。お前、気づいていたんだろう?事を荒立てても証拠もないし、舞台そのものには関係ない。ましてや、ひと月余分にふってわいたことは、黒沼組には利益になっただろう?だから、今日の話を聴いても、何も荒立てないのだろう?」

と赤目が黒沼に言った。

「なんのことだか?」

と桜小路が声を出したら、マスターが「しっ」と人差し指を口の前にたてて、桜小路に黙って聴くように制した。

「俺は、小野寺が嫌いだ。しっかりとした細かい演出をするくせに、権力を求めて腹黒いから嫌いだ。あいつの対抗馬にだけ、なぜか不慮のトラブルが発生するだろ。くだらない。」

黒沼は続ける。

「なんのつもりか、誰にやらせたか知らんが、おおむね時間稼ぎと、あのシアターXのように臨機応変に対応しなければならない場所での演出が自分にはできない、とふんだんだろう?あいつは計算ずくの演出をするからな。
本人が手を汚したわけではないだろうから、誰かにやらせたんだろう?そういうところも嫌いなんだよ。
でも、今回はざまあみろ、だ。こっちは、桜小路の脚も治って、試演を迎えることができたし、北島もこのひと月でずい分と大人になって、女性性を強く意識した阿古夜になった。あいつは、天才だけれど、力で押す演技だったからな。しなやかになった。こっちはおかげさまで、と言いたいが、小野寺の動機は不純だろう。おもしろくない。くだらない。」

「まあ。理由はそれだけではないかもしれないな。ここで、俺たちで推測しても始まらない。ただ、俺も情けなかったと反省はしている。」

と赤目が言うと、マスターがすかさず、

「そうでしょ。だから、区切りにここに来て、たぶん、龍三さんがいることを見込んでここに来たかったんでしょ。かぎ回ってね。」

と割って入った。

「いや。つよしの言うとおりだよ。あ、桜小路くん、つよし、ってこの人ね。こんなんだけれど、この人、東大の大学院卒で博士号もってるのよ。つよし、って言うのも豪快の豪って書くの。笑っちゃうでしょ。」

と赤目は言った。

「なら、いいじゃない。契約違反はできないけれど、ここは別世界の閉じた空間よ。けいちゃんの話したい範囲で龍三さんと腹割って話しなさいよ。それで、すっきり、お互いまたあの頃みたいにじゃれ合いなさいよ。いい年したおっさんがじゃれ合うのも笑っちゃうけれど、どうせ、あと生きたってせいぜい30年でしょ。仲良くしなさい。それで一生懸命芸能に励みなさいよ。」

とマスターが赤目と黒沼を互いに見ながら言った。すぅと息をのみ込んで赤目が答える。

「俺は、話は聞いた。けしかけたつもりはないが、止めてはいない。知りながら、止めもしなかった。本当にそうするとは思ってもいなかったと言う部分もある。
しかし、話のあと、すぐに、ボヤが出た。実行犯は、俺は知らない。止めなかった理由はいくつかあるが、言えることとしては、俺は、紅天女で姫川亜弓の付録になるのが嫌だったという想いが強かったから。そう、俺の名誉欲のせいだと思っている。」

ジントニックをくいっと飲み干し、お代わりを示すためにグラスをマスターに寄せて、赤目は続けた。

「名誉欲とボヤ。全く関係ないように見えるよな。俺の話、見えにくいよな。でも関連性はあるんだ。小野寺と俺、シアターXで、もともとのスケジュールで、やりたくなかったんだよ。もともとのスケジュールだったら、小野寺も俺も霞む。それが嫌だったということが始まりだよ。姫川亜弓とその他諸々だよ。小野寺組は姫川亜弓だけのものになる。それに俺が参加する意味あるか?」

「やっぱり見えないぞ。とにかくお前は小野寺の動きは知ってて、止めなかった、その方がお前にも有利だからそうした、ということだな?」

と黒沼は赤目に尋ねた。

「ああ。そうだ。あと、小野寺は、黒沼、お前のことが嫌いみたいだ。それで、混乱させてやりたい、という想いもあっただろう。延期になるのはモチベーション下がるからな。」

「実にくだらないな。お前のことだから、ちょっとはけしかけただろう?まあ、いいけれどな。でも、そこまでする紅天女の価値はあったんだな。赤目、お前は霞みたくないのに、1期で辞めるのはなぜだ?霞むじゃないか。忘れ去られるぞ。」

「そこが、また俺のずるい所だ。自覚してるが。小野寺の演出では霞むんだ。別に俺じゃなくてもいい。誰でも演じることができる演出。小野寺と組んでやりたくなかった。むしろ、黒沼、お前に演出してもらうなら、辞退なんかしなかっただろうよ。それに…。」

「それに、なんだ?この際だ、言ってみろ。」

「さらにずるい、俺のずるいところは、ボヤがでてからの、大都の動きを見て、小野寺に潮目がないと判断し、俺自身は紅天女から離れることを決心したことだ。」

「ほう。そこか。なるほど。」

「役者は今8人。8人だけれど、赤目慶事務所もあり、あいつらをみんな食えるようにしなければならない。自分自身の問題だけではなく、人を抱える事務所の代表としての立場を考えると、小野寺とつるんで、大都に目をつけられることは損失だ。ボヤ以降は大都の力を見せつけられている。ボヤなんてなかったかのように、ドッグシアターに対抗する建物作っちゃったんだぞ。信じられるか?逆らえるわけないだろ。逆らえないと感じた。なのに、小野寺はそれに気づいていない。気づくこともないと思った。ならば、離れるしかない。一緒に泥沼になるのは勘弁だ。」

「お前らしいよ。計算するよな。お前らしい。それでよくケンカもしたしなぁ、赤目。」

「したした。たくさん、ケンカしたよ。ははは。俺たち…。俺は、たまたま今、役者で十分に食えるようになっているけれど、もともとは大したことない人間だよ。計算していかないと、行き当たりばったりや、お前みたいに自由にやっていたらすぐに干上がっちまうよ。だからその都度の損得勘定が必要なんだよ。」

「それで第1期か。姫川亜弓が選ばれて、たとえば、オーシャン・シアターではずっと姫川亜弓が主役というパターンでも第1期だけだったのか?」

「ああ。それは決定前にもう理事長に伝えに行った。すぐに大都につながって、細かい契約内容もほぼできている。その上で、今日の発表だったんだ。」

「そういうことか。」

「ああ。大都はあっという間に、実行犯を割り出している。それで、多分どこかに抱えている。そいつが誰であるかはもう関係ない。詮索をしない方が、今後の赤目慶事務所のためではあるんだ。俺が、第1期で抜けて、それなりの距離感でいれば、将来的に、事務所の誰かをまた紅天女に関わらせることはできるだろうよ。俺と大都には遺恨はないからな。色々と知ってしまったことはもう墓にまで持って行くんだよ。人に知られるようになっても発信源が俺ではまずいんだ。」

「そうか。おい、第1期、俺は観に行くぞ。復活初代一真をしっかり俺に見せてくれ。いいな、赤目。桜小路、お前も観ろ。お前は特に、次に姫川亜弓の阿古夜に対して一真を演じる可能性がかなり高いぞ。だから、しっかり観ろ。赤目の一真は奥深いぞ。見逃すな。おい、つよし、お前も観に来い。たまにはいいだろう?」

「行くわよ~。わたし、姫川亜弓、好きなのよね。龍三さんの北島マヤもいいけれどね。龍三さんが姫川亜弓を演出する時あるならば、わたし、差し入れ持って行きたいくらいよ。」

「弟だって内緒にするならば来てもいいぞ。おい、もう一杯くれ。」

「はーい。同じのでいいわね。あら、けいちゃんも空いたわね。えっと、けいちゃんは、どうしよ?ロックいっとく?」

「ああ。よく覚えていてくれたね。うれしいよ。」

といつになくやさしい笑顔をした。それを見た桜小路が、

「赤目さん、生意気ですけれど、これをご縁に、これからもよろしくお願いします。いろいろ勉強させてください。演技だけでなく、この世界での生き方も含めて勉強したいです。」

と改めて伝えた。

「そうだな。桜小路、お前はまじめだから、段階的に考えて、計算する赤目の方がわかりやすいかもしれないな。うまく勉強させてもらえ。」

と黒沼が言い、赤目もそれに、うんうんとうなずいた。

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