ガラスの仮面SS【梅静044】 第3章 確かな息吹 (1) 1984年春

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決定会見2日後

「かわいい。赤ちゃんってこんなに小さいんですね。あたしは一人っ子だし、親戚もいないし。生まれて初めてかもしれない。赤ちゃんを抱っこさせてもらうの。」

「この子は標準より大きく生まれたのよ。それでもこんなに小さいの。まだ2週間しかたっていないから。でもこんなふうに元気に生まれてきてくれてうれしい。本当にみなさんのおかげです。」

鈴木の妻洋子は初対面ながらもマヤにゆっくりと親しみをこめて話した。昔からの知り合いかのような口ぶりだ。

鈴木は、那覇市内にあるDスクールから徒歩圏内にある小さなマンションに、妻と生まれて退院してきたばかりの赤ちゃんと3人で住んでいた。家具もあまりないが、赤ちゃんのためのものだけはいくつか置かれていた。

「ねぇー。うまれて2週間しかたっていないのに、こんな有名な女優さんに抱っこしてもらえて、さとるくんも幸せよね~。」

洋子はうれしそうに赤ちゃんに話しかけ、赤ちゃんを抱っこしているマヤをあたたかい目で見つめていた。鈴木はそれを見て黙ってうんうんとうなずいていた。

「ひろみちゃん、あ、北島さんが、紅天女に選ばれて、それで、まず、一番に沖縄に来てくれるなんて…。ひと月のご縁だったのに、ここを大切に思ってくれていることが、涙が出そうにうれしいですよ。」

「鈴木さん。本当にひと月お世話になりました。あの時は読み合わせをしてくれてありがとう。あたしには故郷もないし…。あっ、でも、第1期は亜弓さんが主役で、ダイト・オーシャン・シアターのこけら落としで紅天女を演じるのはニュースでご覧になりましたよね。あたしはちょっとだけ時間が空いたから、沖縄だーって、思ってきちゃいました。もちろん、水城さんも一緒で仕事を兼ねてますけれど~。」

くすっと笑いながらマヤは続ける。

「でも鈴木さん。赤ちゃんが生まれていたなんて。全然知りませんでした。知っていたらなにかお祝い持ってきたのに。それに、奥さまがいらっしゃるなんて!!ぜ・ん・ぜ・ん知りませんでしたっ!」

マヤはふざけてみせた。そして、続けた。

「ああ。でもひと月の間、鈴木さんの家族やプライベートなお話、聞いたことなかったかもしれない…。洋子さんもはじめまして、ですもん。」

「そうですね。おいおい。でも、これからも機会はありますよ。こちらも軌道に乗り始めているので。これからも末永くお付き合いお願いいたしますね、紅天女さま。」

と鈴木も負けずに茶化してみせた。そして、すぐに、ちょっとだけ悲しそうな顔をして、マヤに尋ねた。

「それで、選ばれなかった方といってはあれですが、もうひとつのグループはどうなっているのですか?」

これは小野寺の動向も含め、鈴木にとってはとても気になることであった。

「うーん。第1期は亜弓さんの舞台ということは決まっているけれど、それ以外はまだ。決まったとしても、秘密なの。これは鈴木さんにも言えないの。ごめんなさいね。」

「そうですよね。いや、新聞にもそのように書いてありましたよね。いやー、北島さん、これからますます忙しくなりますね。」

「はい、今回、1泊して、すぐに戻りますが、その後からは目まぐるしく動くことになると思います。」

「忙しい中、ありがとうございます。本当にうれしいです。夕方、スクールにも寄ってください。」

「はい。みんなにも会いたいです。千羽鶴のお礼も言いたいし。はぁー。さとるくん、ずっと抱っこしていたいくらい。癒される~。あっ、でも時間だ。ばたばたしてスミマセン、また夕方、スクールに行きますね。」

おとといの決定会見は複雑な内容であった。いや、あの会見の話をするのであればさらに一日遡らなければならない。

決定会見前日 ホテル会議室

1月31日、決定会見の前日、マヤは水城に呼ばれホテル内の会議室に行った。そこには、山岸理事長、千草、水城、麗、そして、久しぶりに顔を見る真澄がいた。

「明日、決定会見なのじゃが、その前に、主役候補にはそれぞれ話をしているのじゃ。水城くん、青木くんは、北島くん、君のマネージャーとして同席してもらっている。」

と理事長が口火を切った。すると千草が続けた。

「マヤ。ここまで来るのは長かったわね。亜弓さんにはマヤと話す前に先ほど話をしたわ。会見前に、それぞれ話をする理由をまず説明するわね。」

マヤは不安な表情を浮かべて、水城を見た。水城はうんうんとうなずいた。

「話をする理由は、前回の記者会見で話したことと、明日発表する内容に変更事項が出てきたからなの。」

マヤはそれを聞き、

「えっ、選ばれなくても、紅天女にかかわっていくことができる、ということが変更になったのですか?」

と焦って言った。

「ちがうわ。そうじゃないの。紅天女保存委員会に関する事柄はそのままよ。選ばれた方も、そうでない方も、委員になってもらうわ。ずっと関わって、今の時代に紅天女を上演してもらうだけでなく、それを引き継いでいく役割を担ってもらう。」

マヤはホッとした表情を浮かべた。

「マヤと亜弓さんの間には、紅天女に関して、お互いに負けたくない、という気持ちがあるでしょう。もちろん、世間にも、どちらかにすっぱり決めて、選ばれなかった方には何もなし、という結果を希望する声もあるわ。それは分かっているの。でも、委員会という方法を選んだの。それはもう揺るがない。」

「はい…。」

「そこは、先日の会見のとおり。ただ、試演を観て、そして、主役それぞれのチームの現状も考慮すると、少し方向性を変える必要があるという判断になったの。」

「はい…。」

「選ばれた方が、第1期、3月から、オーシャン・シアターで紅天女を上演する、という点。ここに変更が入る可能性があるの。選ばれてない方が上演する可能性も認めてほしいの。」

「つまり…?」

「つまり、選ばれた方がすぐそのまま上演するわけではなく、第2期以降になる可能性もあるということです。」

「あまり意味合いが分からない…ですが…。選ばれる、選ばれないは決着がつき、すぐに上演することとは別ということですか?」

「そうね。」

「紅天女を演じる可能性は同じですか?その後かかわっていけることも変わらないですよね?」

「実質的には。ただ、勝ち負けにこだわるなら釈然としない部分はあるかもしれないわね。」

「その点はあたしはよくわかりません。亜弓さんに負けたくないという気持ちはありますが、勝負にこだわりは正直ないです。うーん、ないと言ったらうそになっちゃうかな?でも、それよりもなによりも、お芝居ができること、そして、紅天女をつないでいくメンバーになれることがずっと大きいです。」

と、マヤは笑顔で答えた。

数時間前に、同じ話を亜弓にした時、亜弓は異なった反応を示した。すぐに、紅天女に選ばれるのは自分ではない、と解釈した。だから、わざわざこの話を事前にするのた、と。ただ、初めて委員会の話を聞いた前回とは異なり、不思議と悔しさはなく、3月から紅天女を演じることができる、何十年ぶりの紅天女、月影千草の次に阿古夜になるのは、姫川亜弓、わたくしなのだ、というある種の喜びと、オーシャン・シアターのこけら落とし演目の主演女優になるのだと自負も感じた。」

千草は亜弓の表情から感情を読み取り、マヤにはしなかった話を続けた。

「亜弓さん、話が見えたようね。きっと貴女の理解は正しいわ。明日の発表を聞いてもらえばわかるでしょう。そして…。理解の早い貴女にですから…。この機会にあまり面白くない話もしてしまってもよいかしら?」

「はい…?」

亜弓は不意打ちをうけたかのようなか細い声を出した。

「2つあります。まず、赤目さん。個人的に山岸理事長に申し出がありました。選ばれても選ばれなくても、いかなる状況であっても、第1期までで辞退したいとのことよ。選ばれなければ、第1期もないまま、候補者で終わる、と。そうしたいとの希望だそうよ。」

「そうですか。うすうす感じてはいましたがはっきりと申し出をされておられたのですね。」

「ええ。経緯は貴女が知りたいならば、明日の会見以降、また、お伝えするわ。」

「…」

「そして、シアターXの件に関する関係者。あえて、犯人とは言わないけれど、残念ながら、身近なの。その方には、遺恨を残さない形で去っていただくようにします。どのタイミングで伝えるか、それは、こちらにいる理事長、速水社長、そして、私に任せていただくわ。」

「えっ…。ということは、まさか、まさか…。赤目さんはご存知で、それで…?」

亜弓の美しい顔がやや歪んだ。

「頭の回転が速いわ。さすがね。厳しいかもしれないけれど、気持ちの整理をしていく準備を始めましょうね。」

「月影先生…、今、この瞬間はうまい言葉が見つかりません。明日、会見のあと、わたくしもコメントを求められるかしら?」

「たぶん、明日、どう発表するか、それによるでしょうね。公に発表することはないと思うわ。もちろん、他言は無用よ。とにかく、今、大切なのは、貴女自身で貴女の気持ちを整理していくことよ。もちろん、貴女の場合は、身体をいじめるような無理をしないことね。」

「先生…。」

「そうよ。貴女には健康で美しく、そして輝く女優でいていただきたいの。そして、次にマヤが来るけれど、マヤにはたぶんここまでは伝えることはないと思うわ。」

「先生。色々ありがとうございます。また、これからもご指導お願いいたします。お話はこれで終わりですわよね?明日、またお目にかかります。」

丁寧にあいさつをして、亜弓は退室した。

「全部悟りましたね。本当にすばらしい人だ。」

真澄は、亜弓が退室した後にぼそっと言った。

「ええ。本当に。悟ったあとも取り乱すことなく。彼女は間違いなく歴史に残る女優になるわ。時間と医療技術が味方してくれることを望むわ。」

◆◆ 本創作にのみ登場する人(原作には存在しない人物)◆◆

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