ガラスの仮面SS【梅静003】 第1章 もとめあう魂 (1) 1983年秋

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おだやかな小春日和の鷹宮邸。紫織が朝食を済ませた後にオフィスにむかうために立ち上がる。見送りに出ようとすると真澄が手を出してさえぎるポーズ。

「紫織さん。今日は顔色も良さそうですね。僕もまた仕事が終わったら、連絡しますね。遅い時間でなければ、寄らせてもらいます。顔色が良くても、まだ油断はだめですよ。お食事もちゃんとなさってくださいね。滝川さんから報告もらいますから。」

やさしいが一本調子の声をかける。

「ええ、いってらっしゃいませ。毎朝ありがとうございます。」

部屋の入口で深々とお辞儀をして真澄を見送る。しかし、眼は笑っていない。真澄の足音が聞こえなくなると、すぐに隠していたスポーツ新聞をベッドから取り出して、ある記事だけを切り取る。

「来週の水曜日、水曜日、水曜日。シアターX。これは銀座から遠くないから、私だけでも行ける。行けるわ…。」

「バラはだめ。そして、この、紅天女がいけないの。これはいらないの。」



「どう思います?実際、赤目さんはやりづらさがあるのではないですか?ここは二人きりで正直なところを腹割って話しませんか。」

ホテルのラウンジで、険しい顔で小野寺が問いかける。

「いや…。歌子さんや姫川監督の手前もありますからなかなか本音を言う機会がね…。もちろん、私も、今回の一真はどうあっても、桜小路ごときには渡せないですよ。私の役者キャリアにも大きい。そして、相手は今日本で右に出るものがいない姫川亜弓だ。やりづらいなんて、口が裂けても言えない。ただ…。」

「そうでしょう、そうでしょう。やー、わかりますよ。いいですよ、おっしゃらなくてもね。」

「いや、誤解してもらっては困る。私の感覚では、亜弓さんは、見えるときの亜弓さんとほぼ遜色はないんだよ。ただね、遜色がないようにするための努力がね、厳しいモノすぎて、演技にアソビが全くない。すべて、100点の演技だと思いませんか?とくにあんな荒地みたいな場所で演技するなんて言おうものなら、一ミリ単位で歩幅を調整してくる勢いもある。」

「うーん、アソビねぇ。」

「そう、アソビがあるから、共演者とも化学反応が生まれる。この際だから言いますけれどね、小野寺さん、あんたならわかるだろうけれどね、このままだったら、姫川亜弓とその他大勢が参加した『紅天女』になって、あんたの作品でもなくなるよ。もちろん、私の作品でもなくなる。」

「じゃあ、どうすればねぇ。来週の金曜は…。」

「さらに姫川亜弓は完璧に仕上げてくるだろうね。でも、あなた演出家としてそれでいいんですかね、ってことだよ。俺は主演男優としては、ね…。確かにすごいんだよ、姫川亜弓は。でも、赤目慶の一真は姫川亜弓の阿古夜の添え物ではないんだ。それこそ、月影ばあさんが言うところの一つにはなれないんだよな。そこはあんたも感じるだろう?小野寺さんよ。」

「むぅ。じゃ、時間があればいいのか?それともシアターXでなければいいのか?黒沼グループに何かあればいいのか?」

「あるいは、その全部か…。それはあんたがお得意なところだろう?小野寺さん。」



マヤにはあの記者発表からずっと消せない想いがあった。来週水曜日の舞台稽古。それまでになにか掴みたい。阿古夜が見るもの、触れるもの、そして感じるもの。そして、一真だけを見て来週の水曜を迎えたいという想い。それが消せないので入ることができないとわかっていても始発電車に乗って、シアターXに来て周囲を歩いてみた。

「一日だけ、一日だけでいいの。私は、マヤとして、マヤとしてだけの私で伊豆に行きたい。そして、紫のバラの人にはお礼を言うの。ずっとずっと支えてくれて、やっと来週舞台稽古の日を迎えられるまでお芝居を続けていられたこと。そして…。そして、阿古夜になれると思うの。」

シアターXからちょっと歩くと海が見えることはあまり知られていない。周囲にもほんのりと潮の香りが流れてくる。その潮の香りをたぐりながら歩いていると、マヤは海岸沿いにたどり着いた。朝の喧騒から静かになっている市場が見え、行きかう船も見える。歩いた場所を振り返ると、そこには高い建物がたくさん。人々の生活もあり、そして、自然もありながら、建物が競うように建っている。

「今、阿古夜がここに来て、この景色を見たら、なんて言うかなぁ?怒るかな?」

そんなことをぶつぶつ言っていると、急にクラクションを鳴らされ、

「あぶねーぞー!ねーちゃん。ちゃんと車見て歩けよ。」

マヤは危うく転びそうになったが、くるっと踵をかえして、体勢を整えた。

「うん、阿古夜だったら今どう思うかな?梅の里から東京ど真ん中に連れてこられて、クラクション鳴らされる。ん?まてよ、こんなことを私が考えること自体、それはちがうかも。私が阿古夜になるのではなく、私と阿古夜が一つ…。なんでこんなこと考えているんだろう、きっと亜弓さんはもっと違うすごいことをやっているはずなのに…。」

よおし、と声に出して、マヤは目の前にあった公衆電話ボックスに入った。

「聖さん、一番早く紫のバラの人に会える日をお願いします。」

マヤの頬はゆでたこみたいになっていた。まさか、今日の午後からだなんて…。


偉そうにふんぞり返りながら大きな声で、小野寺は電話に向かっている。

「わかった、わかったよ。今までだってちゃんとしてきただろう?だから、時間がないからお礼が後になるっていうことだけ言ってるんだ。とにかく頼むよ。そうそう。大丈夫だよ。そのあたりはちゃんと所有者に言ってあるし、そこはもめごとは嫌いなんだから、とにかく頼むよ。」

がちゃんとわざと大きな音で受話器を置くと、手元にあったお茶を飲みほした。そして、誰に聞こえる声でもなく、「短く見積もって、1か月か。場所もあそこでなくなるな。よし…。」




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シアターXの場所矛盾についてはこちらを

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