ガラスの仮面SS【梅静002】姫川亜弓 平成31年3月

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今でこそ、二世タレントも珍しくないけれど、私が小さかったころは少なかった。見世物のように、人目にさらされて正直、常に息苦しかった。だっていつも一人だけだったから。同じ年まわりで子役もいたけれど、ことごとく自滅していった。
 
 
一度自滅した人が、立ち直るのは苦しみを伴う。長くスクリーンに人をはめ込んできた父は、自滅しても輝くものがあればいい、とも話していたけれど、その物言いには、どこか厳しいものがあったことは今でも忘れない。
 
 
だからこそ、私は常に見られても輝いていることを肝に銘じ、努力も惜しまないで来た。努力は私を裏切らなかった。ハクチョウが美しくあるためには水面下で一生懸命あがいているという例えをよく努力家にあてはめるけれど、そんなラクなものではなかった。美しく輝いて、そして、完璧な、思わず人からため息が出るような対象でなければ、私が人前に立つ意味はないと感じていた。
 
 
やりたいことは実は他にもあったけれど、物心ついたときから、演じることに関するサラブレットであった私は人の期待に応えたいと思っていた。自分がありたい自分自身であるために必要なものだけを見てきた。無駄なものは取り入れなかった。恋するふりをしたのもそう。あの時、恋愛なんか利益があるのかと思いながらも、体験してみないとあの雰囲気は醸し出せないと直感したからやってみただけ。
 
 
常に身体を鍛えて、他の人がしているようにユルイ時間を持たなかった理由もそう。それはすべて私が私らしくあるため。だから苦しくもなかったし、疑問ももちろんなかった。
 
 
その想いは、ママがうっとりと遠い目をして話した紅天女が私の前にも降り立ってきたとき、余計に強くなっていった。ママもパパも手出しができなかった紅天女。それを私が演じることで、私はより私らしく、誰かの子供でも、二世でもない、私になれるのだ。紅天女は誰にも譲らない。月影先生から私がいただく。そして、先生の想いの全てと姫川亜弓の全てをこめて、私が、そう、この私がこの時代に甦らせる。その想いはとても強固だった。
 
 
あの子の存在は時に私を苦しめたけれど、それは私をより高いところに置くため。私が私であるための登場人物でしかなかったはずだった。彼女が頑張ってくれれば頑張るほど、私も高いところに行ける。その何倍の努力をすればよいのだから。そうやって今までもやってきた。でも、常に不安がつきまとっていた。努力をしても敵わない圧倒さ。
 
 
常に恵まれている、ずるいと妬まれた私が初めて人を妬ましいと思った。みんなこんなみじめな気持ちで私を見ていたのね。みじめだわ。でもハッキリ分かった。絶対に紅天女だけは譲らない。誰の手にも渡さない。この時代に私がカタチにする。先生が美しかった以上に、私が命を吹き込んでいく。泣いた後にはいつもそう思っていた。
 
 
その想いは今も続いているかもしれない。私の活力源だから。

視力を失った今でもあの時のことは鮮明に目に浮かぶ。あの場面は手に取るように映し出される。
 
 
梅の谷であの子が見せたあの水の演技。地球が叫んでいるかのようなあの声。私の努力がすべて否定されているかのように感じた。そして、涙を抑えるので精一杯だった。今思うと、敗北感とあの子の演技に震え、高揚する気持ちもあったのに、あの時はみじめな気持ちで一杯だった。
 
 
それでも、人は、打ちのめされてもまた立ち上がる。また顔をあげ、目を開け、息をして、考えてまた生きていく。あの子にはそういう想いを何度もさせられた。それでも私は今も生きている。目の光はどうやっても取り戻すことはできないけれど、あの梅の谷で感じたように、風も、香りも、水も、みんなやさしく私の周りにいる。
 
 
常に努力をして手にすることを考えていた私にとって、何かを手放さなければならないということは衝撃でしかなかった。受け入れてしまったら私はもう私でなくなる。そんな風に自分を追い込んでいたかもしれないけれど、もう抗うことはできなかった。
 
 
そしてあれからずいぶん経ったこの平成31年でも、私は眼に何かを映し出して感じることはできない。光はもうない。
 
 
でも、私は自分の人生に悔いはない。かわりに、私が得たものもあるから。
 
 
やさしく周りにいる自然たち。目に見えなくても存在するもの。そしてそれがどれだけいとおしいか。誰かを妬んだり、うらやましく感じたり、さげすんだり、そういう感情があってもなくても関係なく、必ず私の周りにいる。これも月影先生が伝えたかった、そして遺していきたかった紅天女なのかもしれない、紅天女の一面なのだと今ならわかる。
 
 
そして、私の横であたたかい紅茶を淹れながらやさしく微笑む彼もそう。ほら、今も、さっとカメラを手にして、私に向けている。どんな顔を私はしたらいいかしら。彼が撮り甲斐のある笑顔を向けたい。でも、そんな頑張りはもう必要ない。二人でいるこの世界こそが私たちの織り成す世界で、魂と魂のふれあい。一つ一つの瞬間がすべていとおしいから。
 
 
あの子もそう。マヤと私がともに過ごした時間は、誰にもわかりえない二人のものだった。あの谷でケンカもしたわ。そんなこと初めてだった。誰かに感情を思いきりぶつけるなんて。そして、マヤと私、今は遠く離れているけれど、いつでもあの子の息遣いを感じられるくらいの絆はできている。
 
 

だから、今さら失ったものを嘆く気も毛頭ないの。無理に意識していないのではないか、本当は、気にしているのか、と面白おかしく書きたてるゴシップはあるけれど、全然ちがう。あほらしくて反論する気にもなれない。この地まで私を追いかけてきて見張っている記者さんたちも、なんとか私の情けないところを手にしたいみたいだけれど、そうじゃない。
 
 
失ったものは失ったけれど、得たものをしっかり感じて、私の世界があることが今は幸せ。負け惜しみなんかじゃない。今日この瞬間に来るまでのことを思い出しても、あの時があったから今があると思っているの。


ただ一つの心残り。小さい頃からずっと近くにいて目もかけて、大切にしていただいていたのに、どうしても信用することができなかった。本当に小野寺先生には申し訳ない気持ちが残っているの。もっと早くに正直な気持ちをぶつけておいて、わかりあおうと努力しなかったのはなにか虫が知らせたのかもしれない。
 
 
でも…。そうね、正直な気持ちをぶつけていたとしても、先生とは折り合うことはなかったかもしれない…。そうであるならば、あの時、あのような形になったのは最善とはいえなくても最悪でもないはず。むしろ、これが選択肢の中では最も良いものだったのよ。
 
 
月影先生が、紅天女の上演権を演劇協会の会長に預けて、あの子と私を競わせるようにしたとき、私はオンディーヌ所属で小野寺先生演出、赤目さんとのキャストに組み込まれた。
 
 
ずっと慣れ親しんできている私の庭のような劇団オンディーヌ。私がひとつひとつ歩みを進めていくとき、自分自身を作り上げていくために通った場所。そこで、ママも手にしなかった紅天女に挑むための集大成をしていく。
 
 
私にとってはふるさとのような場所。嫌な想い出がないといったらウソになるけれど、ふるさとのような場所であることには変わりない。
 
 
時折感じていたの。私はあの子に、マヤに正々堂々と戦いを挑むことができるの?
 
 
小野寺先生のやり方は、大都のなかでもグレーなやり方。目の前を通るものは虫けらのように叩き潰して、自分の道を確保してきた先生。それだけじゃない。バックにある大きな組織にあぐらをかいていらして、はじめから結果がわかっている演出しかされなくなっていた。
 
 
あれでは人のココロは動かない。そして、それをわかっていても周りは誰も先生には何も言えなかった。その小野寺先生の手で私の紅天女は作られていくのかしら?あの人は私を高めてくれるのかしら?
 
 
こんなこと、言葉に出したらもう止まらなくなる。堰を切って想いもあふれていく。私はわかっていた。そこに目をつぶって、私さえ、しっかりしていれば、私の紅天女は出来上がっていくと信じて準備を進めた。そして、目をつぶっていくことを決めた時から、皮肉にも私の目もかすみが取れなくなり、だんだんとぼんやりとしか見えなくなっていった。


目が見えなくなってきたのは、小野寺先生を信頼しろと何か計り知れない力が言っているのかもしれないとも考えたわ。先生への信頼が薄れていくのと同じように私の視る力も落ちて行った。
 
 
長年お世話になった先生に不信感をもちながら一世一代、自分の魂を賭けて挑む作品に対して、心の曇りがあることを戒められていたのね。きっと。わかっていても、先生への不信感を消し去ることはできずに、その想いは誰にも伝えることができないままでいた。
 
 
どうしたらよいのかしらと思って、一人、ふらっと街に出てみたことがあった。無機質なビルディングと混濁する人間関係が共存している街に身を置くと、自分が見えてくることがあるの。
 
 
そこで、偶然、見たのは、マヤと黒沼先生と桜小路くんの練習だった。都庁の人ごみもあったし、ちょうど帽子もかぶって、サングラスもかけていたので、誰もわたしと気づかなかったわ。気づかれたとしても私はあの場を動くことができなかったと思う。
 
 
マヤも行き詰っていたみたいよ。それで、黒沼先生は、彼女になにかきっかけを与えたくて外にでたのね。そういうところからして、黒沼先生は小野寺先生と違う。もちろん違って当たり前だけれど、あの人はマヤを中にあるものを呼び覚ます関わり方をしていた。桜小路くんもそう。演技者としての彼自身のためでもあるけれど、マヤのために彼は一真であろうとしていた。
 
 
思い知ったわ。これでは私は勝てない。魂のぶつかり合いで紅天女を作り出している人たちに、どう向かい合って行けば勝てるの?なす術がない。他人の所為にはしたくないけれど、あまりにも違い過ぎる。どうしよう。このまま目を理由に、紅天女は辞退してしまうほうが、いいのかもしれない。誰も傷つけないし、私の目もまだ今なら治るかもしれない…。でも、あきらめたくなんかない。私は姫川亜弓だから。

あの時の姫川亜弓と今の私。本質は何も変わっていないわ。私はずっと姫川亜弓だから。

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