ガラスの仮面SS【梅静001】北島マヤ平成31年3月

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早いもので平成になって30年が過ぎ、もうすぐこの時代も終わろうとしている。


昭和に生まれ、ずっとお芝居をすることしかアタマになかった私にとってもこの時間の重さは十分に感じる。

振り返ってみると、いろいろなことがあったわ。そうね、演じることだけと思っていたけれど、そうじゃなかったみたい。

平成になる前に、そう、あの日、先生に出会ってから、の運命は大きく動き始めた。もう40年以上前の話なのだわ。

そして、今でもまだ私は、お芝居がなによりも好き。
そして、お芝居をする機会を与えていただいている。

それだけじゃない。

私を囲む愛おしい人々もいて、そして今はもう会えないけれど月影先生は私の心の中にずっと生きていらっしゃる。ずっと、ずっと。


「ありがとうございます。今でもマヤさんにとっては月影千草さんが支えなのですね。私は「試演」年生まれで、月影さんの演技を生では観たことはないですが、それはそれはお美しく、存在感があるのに、それでいて本人を感じさせない、言葉に尽くせないものだったとうかがったことがあります。その点はいかがだったのですか?」

初対面の時に、「ちょうど試演の時に生まれたのですよ、僕」と言われたから何かご縁を感じたけれど、確かに長い付き合いになっている記者の坂本さん。

「そのあたりはうまく言えないわ。何年たっても難しい。先生が舞台に立たれて、仮面をつけられるともう空気が変わるの。今でもすぐ目の前に思い出すくらいよ。」

「うーん、見事にマヤさん、いつも同じ話になってしまいますね。はははは。僕の質問も同じだ。お忙しい所ありがとうございました。これで、良い内容になる。まだ仮タイトルですが、きっと、『平成の女優たち』で決まりそうです。マヤさんはトップ、そして、一番ページを取ることになると思います。僕もがんばって書いています。インタビュー、ありがとうございました。出来上がったらすぐにお持ちしますね。」

「本当ね、いつも同じになってしまう。坂本さんもお忙しいでしょうから、お気をおつけになさってあげてくださって…。あ、あれ、また敬語がおかしくなってる?私?」

「はい。マヤさんらしいです。なってます。僕は失礼しますね。聖さんも、ありがとうございました。水城さんにもよろしくお伝えください。」

「ということは、坂本さんも、若く見えて結構お年ですね。ちょうど仕事がのってきているところでしょうね。大都出版のあれは出世頭になりそうですね。」

笑いながら聖さんが言うけれど、出世頭と言われても、私はわからない。誰が出世しそうなのかどうか。難しいことは本当に昔から苦手。

「そう?そんなことないと思うけれど。あと一押しが足りないよ、坂本は。ヒトの良さと芸能への愛着だけじゃビジネスとしては成立しないから。そこをパパ、あ、社長みたいにしっかり割り切っていかないと。聖さんは、みんなにやさしすぎるよ!」

なんて生意気な口ぶりなのだろう、この娘は。割って入るのも失礼ね(笑)。確かに利発でビジネスにも長けているみたいだけれど、大丈夫なのかしら?敵、多いのじゃないかしら?

「マヤ、今、私に敵がいるんじゃないかって思ってるでしょ?すぐ顔に出し過ぎよ。」

「そう?わかっちゃった?」

「当り前よ。何年マヤの娘をやってると思ってるの?速水紫海は北島マヤの娘をやり始めてもうすぐ28年よ。そして、女優北島マヤの所属する大都芸能に来てからももう2年たってますから!何でもわかってますよ。当ててみようか?今は、インタビュー疲れで、お腹、空いてるでしょ?」

「ピンポーン!さすが、しーちゃん。ランチ連れて行ってぇ~。」

「では、聖さん、ちょっとママを借りますね!上のイタリアン行ってきます。」

聖さんも目くばせをしてきているし、こういう時はわざと甘えるほうがいい。紫海もママって呼ぶときは何か意味があるの。やっぱり先生のことを思い出すと私も物思いにふけってしまう。顔に出てしまう。だから、きっと気分転換させてくれようとしている。

紫海の背中を押して部屋を出ていく。本当はラーメンがいいけれど、ちょっと気取ったイタリアンにしてみよう。


そもそも紫海を授かったのも、彼とのよじれて絡まった運命の糸が解れる瞬間がきて、奇跡だったように思えるくらい。

そして、私とは似つかない賢く気立てもよい子供たち。もう二人とも社会人になっている。子供たちの成長を振り返ってみると、周りの協力もあってお芝居を続けることができた。

けれども、何一つ母親らしいことはしていないかもしれない。

私は何もしていないのに、子供たちが私を強くしてくれた。 受け入れ難いと思ったことも、娘がいたからこそ、受け入れ、乗り越えることもできた。一番の宝物だわ。

とくに紫海は本当に私と彼のいいとこどりをしたと思う。

ちびでおっちょこちょいで、すぐに感情的になるけれど、いざという時のスイッチが入ったら度胸も座っている。それでいて、いざビジネスになると、物事をいくつも並列して冷静に考えることができ、利益を求めるときはすっぱりと感情を排除する。

まぶしい位輝いていて、 亜弓さんに感じた神々しさと似ている何かを紫海は持っている。

この美しい娘は間違いなく、私の子供なのかしら?と自分を疑うこともあるくらい。でも間違いない。

私はずっとお芝居のことだけ、そう、それも、紅天女のことだけを考えて、生きてきたから、紫海のように学生生活を楽しんだり、勉強を一生懸命したり、将来のことをゆっくり考えたりすることなく生きてきた。

そんな余裕もなかったというのが正しい言い方かもしれない。

やっと遠くに見える小さな光に集中して、それを手にすることだけを毎日考えてきた。何回も消えかかったわ。先生が示してくれた「紅天女」という小さな光。


あれから時間はずい分過ぎ、娘の紫海がもうあの時の私の年齢より大きくなっている。

やっと私もここまでの私と紅天女と、そして、彼のことを自分なりに振り返ることができるようになったきた。

それは私のためだけではなく、紅天女と先生のためにもそして亜弓さんのためにも私がやらなければならないように感じている。お芝居以外はてんでだめなおちびちゃんからはもう卒業しているのだから。


だめだ。想いが止まらなくなってきちゃった。先生のことから、他のことまで。そうなるといつも思うのが、「私が彼を愛したのは、彼が紫のバラの人だったから?それとも…?」ということ。

その答えはいまだはっきりしないの。それが正直なところ。彼をどこまでも憎んでいた時もあったし、起こったことは消せはしないから、胸が痛むときもまだあるけれど、それ以上の満ち足りた気持ちが私の中にあることは確か。

それに彼も代償をおっている。あの海辺を一緒に、ふざけて走った足はもうあの時のようには動かない。くしくも彼の養父と同じように足に不自由を抱えることになったけれど、あの頃、彼が時折見せた苦悩の表情はもうない。そして、彼の不自由の原因となったことに関しても彼はもうなにも、誰も責めていない。

不自由があるから、私と彼の距離はもう遠くなることはない。不自由がなくても、きっと、距離は遠くならない。その自信はある。そして、ひとつの家族になっている。二人の子供も授かっている。お義父さまもまだ元気でいらっしゃる。年とともに余計に口うるさくなってはいるけれど、笑顔も多くなられた。聖さんがよく仕えてくださっている。

つきかげのみんなもそれぞれ独立している。なかなか会えない。会えなくても、今はすぐにつながることができることはできるから距離は感じない。でも、月影先生はもうこの世にはいらっしゃらない。源蔵さんも…。
 
 
亜弓さんは海の向こう。あれほど熱くきそった紅天女のことは遠い昔のよう。それでもまだ紅天女は生きている。

愛しいひとたち。あの時に私が泣いていたら手を差し伸べてくれたり、お尻を叩いてくれた人たちがそれぞれの人生を歩いている。時の流れを感じる。

それでも、私はまだ演じている。ここで演じている。

だから、あの時に戻って、紅天女のことを話していける。もう、悔いなく話すことができる。

それは彼も同じ。おった傷を受け止めて、あの時の話をすることができるようになっている。ただ、彼の中にある贖罪だけは私でも触れることはできない。それに関しては、時も味方しないだろう。彼はずっとずっとその想いをかかえていく。私は彼の横で、その想いをかかえた彼に寄り添っていくだけ。

あとは、坂本さんがうまくまとめてくれるはず。苦手なことは他の人に任せる。これは私が得た知恵。たのしみにしておこう。

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