ガラスの仮面SS【梅静016】 第1章 もとめあう魂 (14) 1983年秋

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桜小路はマヤの気持ちが自分にないこと、そして、二人を阿古夜と一真としてつなぐ紅天女に自分自身がまだしっかりと向かい合えていないことがもどかしくて仕方がなかった。ただ、このボヤのおかげと言っては何だが、自分自身を整える時間が与えられたことだけは安心をもたらした。しかし、マヤはひと月もどこにいるかわからない状態になる。

もう気持ちの整理がつかない。なにかきっかけになるのではないかとここに来たのかもしれない。しかし、シアターX周囲はまだボヤの片付けが終わっておらず立ち入りできない。自分でどうにかしなければならないだろうと拒絶されているように感じた。そして、街は、交通量が相変わらず多く、走る車のライトが自分自身の情けなさを映し出しているようにすら感じた。

そんなことを感じながらあてもなく歩いた。すると一台の車が止まった。

「桜小路くんじゃないか?」

車の窓が開き、いぶかしげに顔を出したのは赤目だった。

「なんだ、情けない顔つきをしているじゃないか。どうしたんだい?よかったら乗りなさい。その足で歩くのかい?どこまで?うちに帰るなら送っていくよ。近いしね。」

「いやー、今回はさんざんだよ。スケジュールの組み直しもあるし、ドラマの読み合わせもあってね。ほとほとまいったね。桜小路くんはどうなんだい?」

なぜか素直に車に乗った桜小路は下を向きながら答えた。

「はい…。情けない話ですが、まだ気持ちの整理ができていないです。足も良くなっていないので延期は自分にとっては悪いことではないのですが…。」

「そうか、君は足の事もあるんだね。お互い、阿古夜さんとは会えない時間がひと月もあるから、そこもやりづらさはあるだろうね。こちらの阿古夜さんはさらに完成度をあげてくるだろうねー。おじさんは合わせるのに精いっぱいかもしれないなぁ。はははっ。桜小路くんのところはどうだい?君たちは似た年齢で感覚も合うからあまり心配はいらないかな?」

桜小路が返事をしなくても赤目は気にせずに続けた。

「それにしても、実行犯がまったくあがってこないね。シアターXのボヤ。あれは放火だろう?嫌がらせか、それとも、また別の意図があるのか。わからないけれど、犯人があがってこないというのは心配だよな。黒沼さんはなにか情報をつかんでいたりしないの?」

「いいえ、黒沼さんは、とにかく怒っていました。そんな実行犯の事までは全く考えている様子はなかったですね。そういうこと自体には興味がない方でしょう。」

「黒沼さんらしいね。怒っていたか。まあ、きっと、大都が新しいオーシャン・シアターを使うように手をまわしているだろうね。そこも黒沼さんからするとまた不安材料かもしれないよなぁ。大都からみで、このまま紅天女もこちらのものになってしまいそうな気もするだろうしなぁ。」

桜小路は憮然としたものの、なにも言いかえすことはできなかった。やっと、

「ありがとうございます。ここでおろしていただけますか?少し寄っていきたいところもあるので。あとは電車で帰ります。助かりました。」

とだけ虚勢を張って言った。

「そうかい。気を付けてな。紅天女をいただくにしても、君たちが全力を尽くしたうえで堂々と頂きたいからね。そうそう。実行犯があがっていないということは、まだ、身の安全も含めて、注意が必要であるということだと思うよ。これは、ライバルとしてではなく、同じ役者として、先輩としてのアドバイスだ。あのボヤは悪意だと思うからね。もちろん、私も気を付けるから。お互い、な。」

赤目の意味深さが不気味であったが、確かにボヤが誰かが意図して起こしたものであったら、間違いなく悪意であることは理解できた。ずっとそのことを考えて、帰宅後もなかなか眠ることができなかった。

昨日、マヤは、稽古場に行ったものの、桜小路は来ていなかったので、黒沼にのみ挨拶をした。最近の桜小路の様子からすると何も言わないでひと月も会わないままでいることは心配だったけれど仕方ない。体調がすぐれないとのことで、夜にだけ顔を出すからと連絡があったらしい。マヤが稽古場に行ったのは午前中だったのですれちがいのままだった。

今朝一番のフライトでマヤは沖縄に向かった。隣の席には真澄がいる。飛行機に乗ること自体、緊張するのに、隣に真澄がいるということで、さらに緊張が強くなった。

「速水さんは飛行機怖くないのですか?こんな重いものが空を飛ぶのですよ?」

「プッ。相変わらずだな。揚力だよ。だから飛行機も浮いて飛ぶ。物理で習わなかったか?」

「勉強は苦手です!なんですか?それ?」

「フッ。そうだな。君の成績表、すごかったよね。紫のバラの人もひっくり返るくらい悪かったよね。はははは。悪かった、聞いた俺がバカだったよ。ほら。もうすぐ離陸するから、つばをごっくんとして。耳が痛くならないですむから。あまり心配しないでいい。何があっても一緒だから。」

と真澄が言いながら、マヤの手を握った。照れるよりも、真澄の手の大きさと暖かさにマヤはほっとした。お互いの気持ちはやっとつながって、そして、それは続くのだなぁと直感した。そして、彼に美しい婚約者がいても、彼と私の心は一つになったのだとも思った。しかし、今、その婚約者のことを言葉にすると、このやさしい時間が壊れてしまいそうで、なにも言うことはできなかった。

途中、うたた寝をしたけれど、ずっと二人は手を取り合ったままであった。間もなく美しい海が見えてきた。そして、冬のはじめでも暖かい沖縄に降り立った。

空港からタクシーに乗って海辺のホテルに着いた。

「今日はここに泊まるよ。」

「えっ、え?水城さん、あれ、麗は?あ、あ、い、一緒の部屋ですか?」

「嫌かい?」

「あ、え、うっ、い、いや、いやとかは、べ、べっ」

「うん。嫌とは言わないことはわかってるから。任せて。」

部屋の窓からは青い海が広がっていた。海風はつい先日の伊豆とは異なってゆるやかだった。クルーズ船のお部屋よりも落ち着いた家具が置いてあった。

「青くておだやかな海だ。また一緒に、表情がちがう海を見ることができた。」

「ハイ。こんなに青い海をみるのは初めてです。」

「そうか。この青さ、おだやかさ。覚えておこうな。一緒に見る海を一つ一つ覚えていこう。二人の記録だ。」

「ハイ。一緒に見る海…。」

「そうだ。そうだよ。今日は、夕方から水城くんと、あと、一緒に仕事をする人、男性だけれどね、打ち合わせをする。スクールの件だ。そして、私は、明日、午前中に東京に戻る。そして…。そこからは、しばらく顔を見ることもできない。面白くないことも聞こえてくるだろう。」

「ハイ。ひと月。私が、阿古夜になるための時間をこちらで過ごすのですよね。そして、しばらくは…。この間も話してくれたように、面白くないことも…。」

「うん…。ひと月。そうだ。本当にマヤの心を砕くことになるかもしれないが…。離れていても、一緒に見た海、感じた風。そして、触れ合うぬくもり。マヤ、覚えていてほしい。先日の伊豆、そして、今ここにいる二人が真実だということを。」

心がつながったと思うと不思議だ。この真澄の言葉にある自分への愛情と、そして、紫織さんとのこととの苦悩をくみ取ることができるようになる。ここで、マヤが余計なことを言うと、この愛情と苦悩のバランスがおかしくなってしまいそうで、黙って頭を上下してうなずくほかなかった。

「スクールのこと。そしてなにより、私の阿古夜のこと。それをじっくり感じて考えて、またひと月後、東京に戻ります。亜弓さんが、どこで何をしていたとしても、私は私なりに。そして、何ができるか想像もつかないのですが、スクールの成功につながるように、がんばっていきます。任せてください。」

マヤは自ら真澄に身体を寄せた。

「だから、速水さんも、覚えていてください。どこにいても何をしていても、私もこうやって、自分から速水さんに寄り添ってそばにいます。それだけです。」

真澄は黙ってマヤを抱き寄せながらうなずいた。

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