ガラスの仮面SS【梅静009】 第1章 もとめあう魂 (7) 1983年秋

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ここが都心とは思えぬ料亭たのくら。赤坂の一等地にありながら、静寂が支配する空間。大都は会長の代からここぞというときにはたのくらを使ってきた。今日は日本演劇協会の山岸理事長とご一緒する。ゆっくり酒を酌み交わすわけにもいかない逼迫している状態だから失礼のない程度になるべく手短に進めよう。真澄はいつもの自分に念を押したうえでたのくらに入っていった。

「あー、速水社長。さっそく声をかけてくれてありがたかったよ。もう、途方にくれているんだ。」

「お忙しい所、理事長、わざわざありがとうございます。本当にとんだことになりましたね。小野寺さんも黒沼さんも出鼻をくじかれたのではないでしょうか。」

「そうじゃね。ただね、両者の反応はきれいに分かれた。小野寺くんは、しかたないから受け止めるという口ぶりで、黒沼くんは納得がいかない様子であった。同じ演出家でもやはり性格がでるのだろうね。」

「そうですか。」

と言いながら、真澄は理事長に酌をした。

「今日はあまり時間の余裕もないので、単刀直入に行きましょう。大都が紅天女を手にしたいという気持ちは強くあります。他のどこかに渡ってしまうのはとんでもない話で許し難い。しかし、もっと苦しいのは、きちんと後継者が決まらないまま宙ぶらりんになってしまうことです。これは理事長も、月影さんも同じ気持ちであると勝手ながら捉えています。あれはなくしてはいけない。伝承していくものだから。」

「そこなんじゃよ。月影さんも様子がわからない。すると誰にも伝わらないまま、消えてしまう。だれかの二番煎じのような劇をされてもたまらない。ぎりぎりでやっているところであるのに。誰があんなことを。何の恨みがあるのか。」

「そうですよね。では、これは大都芸能としてのひとつのオファーです。聴いていただけますか?」

山岸は飲み干し切っていないグラスをテーブルに置いて身を乗り出した。

「はい。スポンサー、その他、今後の契約等は一切考えずに、大都は、ひとつ、舞台を提供したいと思っています。2か月でセッティングします。そのための施設を作ります。2か月後に、その新しい場所で、舞台稽古、試演、そして、役者決定という流れにしませんか?2か月ずれ込みますが、今からシアターXに替わる場所は探せないでしょう。また、危険でもあるので、やはり、ここはきちんとしたセッティングでやりたいものです。」

「確かに、代替の場所がなかなかないんじゃよ。今日の午後も途方にくれたんじゃ。月影さんとは電話では話したけれど、『お任せします』とだけじゃった。」

「場所は13号地。お台場です。シアターXから海をはさんだ向こう側。ちょうど広い場所もあります。そこに、11月から始まる劇団Sのドッグというミュージカルと同じようにシアターを作って、そこで試演をさせるのです。もちろん、その後も本上演で使ってもらえればありがたいですが、あそこも再開発地区だから、早めに文化を持ち込むことは大都にとってもプラスである。紅天女を冠につけなくても良い。」

「月影さんも今回の延期はまいっておったよ。ありがたいはなしじゃが、そこまでしてくれるのはなぜかい?決して小野寺くんのほうを依怙贔屓することはないよ。いいのかね?」

「先ほども申した通りです。月影さんにも紅天女を伝えてもらわないといけない。あの二人のうちのどちらかに…。そう、そしてこれは理事長で止めてほしいのですが、姫川亜弓さん、今、目に問題を抱えています。誰にも言えないまま、悟らせることもないまま、視力とひきかえにしても紅天女をやろうとしています。」

「なんということだ…。まさかこのボヤ騒ぎはなにか関係があるのかい?」

「いいえ、それはありません。あったとしても、今は公表するべきではないと思っています。そう思うのは不思議ではありませんが、これは月影さんが許してくれるのであれば、亜弓さんの治療に取り組む時間が取れるということでもあるのです。彼女の視力を奪うのは日本演劇界の大きな損失です。」

「ふーっ。理事長をやっていても知らないことが多いようじゃ。姫川くんのことは誰が知っているのじゃ?そこにも箝口令をしかなければならないな。」

「もちろんです。歌子さん、そして、小野寺さんと赤目さんです。あとは診療を受けた病院でしょう。そこからこの話も漏れることなく、そして、ボヤからの延期もなにかあやしいものがあるのではない、ということを示した上で延期するためにはなにか大きなきっかけがほしいです。そこで大都がシアターを用意します。西新宿の劇団Sに対抗する形式ということでお膳立てもぴったりでしょう。」

「そこまで考えているとは。速水さん、あなたは演劇への愛情か、あるいは、ビジネスの鬼か、それとも…。」

「ご理解とご賛同をいただけたと言うことで良いでしょうか。流れとしては、まず、月影さんにお伺いをたてます。そして、シアターの件をマスコミに発表、それからしばらくして、試演はそこで、という時差をあえてつけましょう。月影さんには、電話で連絡しますが良いでしょうか。理事長からもお口添えをお願いします。あ、あと、その間の役者の生活費や何か、必要なことはできるだけ支援したいです。そして、女優二人に関しては、少し、消えてもらおうと思います。亜弓さんの治療が不自然でないようにするためにも。」

「反論のしようがまったくない。見事じゃ。本当にありがたい。」

「そうおっしゃっていただけてうれしいです。ただ、これは、理事長、月影さん、そして私の3人の秘密です。亜弓さんを説得するために歌子さんには一部伝えることもありますが、それ以外の方には秘密です。理由は、そうですね、きっとすぐにわかると思います。」

「意味深じゃのう。でも良い。君を男と見て、そして、紅天女のためにも、日本演劇界のためにも、ここは君の提案をすべて丸飲みさせてもらう。わしは何をしたらよいかのう?」

「そうですね。月影さんに、お電話を一本入れていただけますか?」

「おお。わかった。今、電話を借りれるかのう?」

マヤは海辺の別荘から戻ってからの自分自身の気持ちの動きを振り返っていた。

「信じていく。ジグソーパズルのピースははまっている。見えなくても聞こえなくても触ることができなくても信じる。そこから何か生まれる。見ている方向は同じ。同じ…。」

すると麗が声をかけてきた。

「マヤ、なにか変ったみたいだね。一日、朝から出かけて遅くに帰ってきた日からなにかちがう。今回のシアターXの話もまったく動揺していない。」

「そう?そうかな?私なりに、わかったこともあるかもしれない。」

と言いながらマヤは「充電」と言われたことを思い出して、一人で頬を染めた。麗はいつもの1人でボケてるマヤが勝手に頬を赤らめているとだけしか思わなかった。

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