ガラスの仮面SS【梅静060】 第4章 運命の輪(2) 1984年春

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「え、え、えっと。先生。大都様の会長様とは遺恨があると…そう思っていましたが…」

「そうよ。この憎いパフェおじさんが私から紅天女を取り上げた。紅天女も、そして、マヤ、私の顔の傷、知ってるでしょう?これもこのパフェおじさんの所為よ。そして、私の愛した紅天女の作者の尾崎一蓮を追い詰めたのもこのパフェおじさんよ。」

 

言葉は厳しいが、千草の表情は怒ってはいなかった。むしろ、よほど気に入ったのかパフェおじさんと言うたびにくすっと口元が笑っていた。

「でも。もう、年を取り過ぎたの。この人を憎んで、なにくそ、と思って色々やってきていきたけれど、いざ、試演となった時、いいえ、シアターXのボヤの時くらいから色々と冷静に考えるようになってきたの。それは亜弓さんとマヤ、あなた方二人のおかげ。あなたたち二人を目の当たりにして、ふと気づいたの。この二人に紅天女を託そうって。そして、託すためには、これからの邪魔者は一切許さない、憎むのはそちらだと。あなたたちの努力のおかげね。あなた方が見事なまでに阿古夜になってくれているから。すーっと。気持ちが落ち着いてきたの。私が憎悪で満ち溢れていること、そう、それもこの醜い顔で憎悪で顔をゆがませていることが一蓮は望んでいないのではないかと…。それよりも、尾崎一蓮がこの世に生み出して、そして、月影千草が形にした紅天女を、ずっと残すことが、私たちの生きた証なのかもしれないと…。」

「先生…。」

「生涯、私にとって、一蓮だけだった。他の男性は受け入れたことはないわ。彼だけだったの。では、私は彼の何を愛していたのか、というとね…。」

とそこまで千草が話した時に、ベルチャイムが鳴った。

 

「あ、あら、ちょうどいらしたみたいね。話は全部聞いて頂くほうがいいから。源造、お迎えして差し上げて。」

源三がドアまでドアを開けるとすぐに英介が大きな声をかけた。

「思ったより早く来たな。まだ話は進んでいない。早く入れ。」

「ええ。思ったより早く手が離れました。」

と足音と聞きなれた声がマヤの耳に入った。

「まあ、ここに掛けなさい。」

その時はじめて、来客が真澄であるとマヤは知った。マヤの身体は緊張で硬くなった。そして、互いに、顔を見合わせた。真澄も同じように緊張を見せていた。

「い、いや。北島さんも一緒ですか。」

と平静を装って真澄が英介に言うと、

「北島さんにかかるとわしもパフェおじさんだよ。ははは。」

「やっぱりそうでしたか。その節は、父がお世話になりました。ありがとうございます。北島さん。」

と真澄は言った。

「今日は、マヤがアメリカに行く前に、どうして復刻紅天女が亜弓さんなのか、同じ女性として腹を割って話をしたいと思ったの。尾崎一蓮と私のいきさつも含めてね。そして、私が会長と犬猿の仲、まあ、それは今でも変わらないのですけれど、フフフ、ただ、時が痛みを和らげてくれていることと、そして、これからの紅天女保存委員会にとっては、速水会長は恩人であるということを話しておきたくて来てもらったの。」

「それにね、会長からは二人の阿古夜に会わせろ、と言われていてね。亜弓さんには何回か会っているし、お互い身元が分かった上で、話をしているでしょう。なら、私の今の気持ちも合わせて、会長にも、そして、会長のあとをつぐあなた、真澄さんにも聞いてもらったほうがいいし、ちょうどよいタイミングでマヤと会長を引合すことができると思ったの。ごめんなさいね、ついで、のようで。」

と千草はおだやかな顔で言った。そして続けた。

「ちょうど今、真澄さんがいらっしゃる前、私と尾崎一蓮の話をしていたの。そして、こちらのパフェおじさん、フフフ、マヤはそう呼んだわよ。本当に。くぅくぅく。笑いがどうしても止まらないのだけれど、パフェおじさんこと会長が私から紅天女も、美しさも、そう、女優生命も、そして、尾崎一蓮も奪った憎い方だという話をしたところよ。」

「そうでしたか。是非続きを聴かせていただいてよいでしょうか。私がここにいてよいでしょうか。」

「もちろんよ。そのためにいらしていただいたのだから。」

と終始穏やかな顔で千草は続ける。

「一度、おじゃましたでしょう。真澄さんのおうち。オーシャン・シアターに決まった時に。その後も一度だけ、秘蔵品を見せてもらいに私だけでうかがったの。とても良い保存状態で紅天女の部屋があったわ。そして、それを惜しみなく保存委員会に寄贈していただけると会長は約束してくださったわ。

そこで、ちょっとわがまま言って、あのお部屋にしばらく一人でおいてもらったの。そうしたら不思議とすーっと心が落ち着いてね。もちろん、遺恨はありますよ。私から紅天女を奪った事実は変りませんから。でも、恨みよりも何よりも、心に決めたように、紅天女を続けていくことが一番大切だとわかったの。そして、その時には遠慮なく会長の財力を使わせていただこうと。もちろん、お金になびいたわけではないのよ。ただ、今の私にはその財力はない。憎い気持ちはあってもその熱量はすーっと下がった。」

だれも口をはさむ者はいない。千草は続ける。

「恥ずかしい話だけれどね。一蓮のことを話すわ…。ふー、照れちゃう。誰にも話したことがないから。彼はね、今思うと、本当に弱い男性だったの。私は、その弱くて情けない所を愛したのよ。結局のところ。彼には奥さまも家族もいらしたのに、私がいなければだめだって勝手に思っていたのね。でも、その時は、彼は強い人で、私が支えることでもっともっと強くなって羽ばたく人だと思っていたの。実際にはとても弱い人よ。でも私がいなくても生きてはいけたし、表現の道も存在していたと思うわ。でも私がいなければダメだと、私は信じ込んでいたの。そしてのめり込んで行ったの。私は孤児のようなもので、誰にも愛されないし、誰にも頼られないし、そして、頼る人もいない環境で生きていたから初めて生きている意味を与えられた気になったの。」

手元の水をこくっと飲んで千草は続けた。

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